『西条酒造学校』復活へ

広島県東広島市の酒どころ西条で、「西条酒造学校」が今秋、復活に向けて動き始めます。中心となるのは、日本酒造杜氏組合連合会会長で広島杜氏組合長も務める石川達也氏です。石川氏はこの春、地元の西条に戻り、福美人酒造の酒蔵を舞台に、杜氏など将来の酒造りの担い手を育成する取り組みを始めようとしています。半年間の泊まり込みで酒造りを学ぶ構想も示されています。

そもそも「西条酒造学校」とは何なのでしょうか。実は、この名称には西条の酒造りの歴史そのものが重なっています。現在の福美人酒造は1917年に設立され、優れた酒造技術を持っていたことから、全国から杜氏や酒造技術者が学びに訪れ、「西條酒造学校」と呼ばれるようになりました。つまり、現在のような学校法人としての教育機関というより、酒蔵そのものが酒造りを学ぶ場になっていたという意味合いが強いのです。これは、かつての日本酒業界における技術伝承の姿を象徴しています。

酒造りは、教科書を読むだけでは身につきません。蒸米の状態、麹の香り、もろみの変化、温度の推移など、数字だけでは捉えきれないものを、実際の現場で見て、触れて、経験する必要があります。杜氏制度もまた、こうした経験を人から人へ伝える仕組みとして機能してきました。

しかし現在、その仕組みが大きな転換期を迎えています。日本酒の国内出荷量は1973年をピークに長期的な減少が続き、現在ではピーク時の4分の1以下になっています。さらに、酒造りを担ってきた杜氏や蔵人の高齢化も進んでいます。伝統的な酒造りがユネスコ無形文化遺産に登録された一方で、その技術を実際に使える人が減っているという、ある意味で皮肉な状況なのです。だからこそ、今回の「復活」には大きな意味があります。

石川氏が目指しているのは、単に酒造会社の社員を育てることではありません。「人を育てることに特化した蔵」を目指し、酒造りを学びたい人に対して、実際の現場で学べる環境を提供しようとしています。ここには、これからの日本酒業界に必要な発想があるのではないでしょうか。

これまで酒蔵は、基本的には「酒を造る場所」でした。しかし、これからは同時に「人を育てる場所」であることが求められるのかもしれません。設備を近代化し、製造工程を合理化することはもちろん重要です。一方で、機械化やマニュアル化だけでは伝えにくいものもあります。発酵という生き物を相手にする日本酒では、現場でしか身につかない感覚が依然として存在します。そして、それこそが日本酒を「伝統文化」として残すための核心なのではないでしょうか。

西条酒造学校の復活は、昔の制度をそのまま復元する話ではありません。むしろ、かつて酒蔵が担っていた「技術を次の世代へ渡す」という役割を、現代の環境の中でもう一度取り戻そうとする試みと見るべきでしょう。

日本酒の未来を考えるとき、新しい設備や海外市場ばかりが注目されます。しかし、その酒を造る「人」がいなければ、どれほど市場が広がっても意味がありません。西条で始まる酒造学校の復活は、日本酒業界がいま直面している「最大の課題は、米でも設備でもなく、人なのではないか」と問いかけているように思います。

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音楽を聴かせた日本酒がメディアと出会う ~「音」が生み出す新しい酒の物語

日本酒に音楽を聴かせて醸造する。かつてなら、少し不思議な酒造りに聞こえたかもしれません。しかし現在、オンキヨーが培ってきた音響・振動技術を日本酒に応用し、酒蔵やラジオ局と連携する取り組みが進んでいます。

今回注目したいのは、単に「音楽を聴かせた酒」という商品が生まれたことではありません。音楽を聴かせる酒造りが、メディアと結びつくことで、一つの日本酒に新しい物語が生まれていることです。

岐阜県の岩村醸造では、オンキヨーの特殊なスピーカーを用いて、発酵中のもろみに雅楽を聴かせた「加振純米酒」が商品化されています。オンキヨーによれば、音楽振動技術を用いた「加振酒」は、オーディオ技術と産学連携による研究を背景に展開されているものです。

ここにZIP-FMが加わる意味は大きいでしょう。酒蔵と音響メーカーだけであれば、「新しい醸造技術」として完結する可能性があります。しかし、そこにラジオというメディアが入ると、音楽そのものが「商品を伝える言葉」になります。例えば、どのような音楽を聴かせたのか。なぜその音楽を選んだのか。酒造りの現場では何が起きたのか。そして完成した酒を、どのような音楽と一緒に楽しむのか。こうした情報は、従来の「米」「酵母」「精米歩合」といった酒質情報とは異なる入口から、日本酒への興味を生み出します。

実際、オンキヨーはこれまでにもクラシック、ジャズ、ポップスなど、さまざまな音楽と酒造りを組み合わせてきました。ここで重要なのは、音楽が単なる「付加価値」ではなく、日本酒をメディア化する装置になり得るという点です。

日本酒は本来、非常に多くの物語を持っています。米を育てた人、酒を造った人、土地の歴史、蔵の文化、そして飲む人の体験。しかし、それらは必ずしも商品そのものから伝わるわけではありません。ところが「この酒は醸造中に雅楽を聴いていた」と聞けば、それだけで酒に一つの場面が生まれます。さらにラジオでその酒造りや音楽について語られれば、商品は「味わうもの」から「聴くもの」「語られるもの」へと広がります。これは、日本酒にとって非常に興味深い変化です。

これまで日本酒の情報発信では、テレビ、雑誌、ウェブメディア、SNSなどが「完成した酒」を紹介する役割を担ってきました。しかし、音楽と酒造りを組み合わせれば、メディアそのものが酒造りのプロセスに参加できるようになります。将来的には、地域のラジオ局が地元の酒蔵と組み、「今年の酒にはこの曲を聴かせる」といった企画も考えられるでしょう。ミュージシャンとのコラボレーションなら、その音楽を聴きながら酒を飲むところまで含めて一つの商品体験にできます。

日本酒の競争は、味だけでは決まらなくなっています。どんな土地で造られたか、誰が造ったかに加えて、どんな音を聴いて生まれた酒なのかという物語も、その酒を選ぶ理由になり得ます。

音楽を聴かせた酒造りの価値は、酒質の変化だけにあるのではありません。酒造りそのものを「語れるコンテンツ」に変え、さらにメディアを通じて人に届けられるところにあります。

日本酒が「飲むもの」から「体験するもの」へ変わる中で、音楽はその体験を伝える新しい言語になるのかもしれません。今回の取り組みは、そんな日本酒の可能性を示す一例として、今後の展開が注目されます。

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日本酒の「本物」をどう証明するか ~ 白鶴が導入したトレーサビリティの意味

日本酒の価値を決めるものは、米や水、造り手の技術だけではありません。特に高価格帯の商品になると、「その商品が本当に蔵元から出荷されたものなのか」「誰の手を経て、どこで販売されたのか」といった、製品そのもの以外の情報も重要になってきます。

そんな中、8月31日、白鶴酒造が高級日本酒ブランドに、SBIトレーサビリティ株式会社のトレーサビリティ・サービス「SHIMENAWA(しめなわ)」を導入したと発表しました。対象となるのは、「超特撰 白鶴 天空 袋吊り 純米大吟醸」の山田錦と白鶴錦です。

SHIMENAWAとは、ICタグであるRFIDやNFCと、ブロックチェーン技術を組み合わせたサービスです。商品一つひとつに固有のIDを持たせ、その商品に関する情報をデジタル上で紐付けて管理します。真正性の確認だけでなく、利用・配布履歴、入出荷や在庫管理、デジタルコンテンツの提供などにも利用できます。

今回の白鶴の取り組みでは、封緘紙に開封検知機能付きのNFCタグを組み込みました。消費者は専用アプリを用意する必要がなく、スマートフォンをタグにかざすだけで、その商品が正規品であることや、開封されたかどうかを確認できます。さらにタグへのアクセス情報はブロックチェーン上で記録・管理されます。

ここで重要なのは、これが単なる「偽物対策」にとどまらないことです。日本酒の海外市場が広がる一方で、高価格帯の商品ほど、偽造や不正流通によってブランド価値を損なう可能性が指摘されていました。国内であれば蔵元と販売店の関係を比較的把握しやすくても、海外では流通経路が複雑になり、商品がどこに渡ったのかを追跡することが難しくなります。そこで、一本一本の商品にデジタル上の「身分証明書」を持たせるわけです。

しかも、SHIMENAWAの特徴は、消費者が情報を確認できるだけではありません。商品の出荷先情報を紐付けることで正規流通の管理に利用できるほか、タグへのアクセスを通じて、購入後の商品がどこで確認されたのかといった情報を把握することも可能です。これは、日本酒業界にとって意外に大きな意味を持つのではないでしょうか。

これまで酒蔵にとって重要だったのは、「良い酒を造ること」と「それを販売すること」でした。しかし高級酒が増え、海外市場も拡大するこれからは、「その酒がどのように流通し、最終的に誰に選ばれたのか」まで含めて商品を管理する必要性が高まります。

一方で、すべての日本酒に同じ仕組みを導入すればよいという話でもありません。タグの導入や情報管理にはコストがかかります。日常的に飲まれる商品よりも、希少性が高く、価格も高い商品から導入する方が合理的でしょう。今回、白鶴が「天空」のような高付加価値商品にSHIMENAWAを採用したことは、その意味でも象徴的です。日本酒の高価格化が進むと、「なぜ高いのか」を説明する必要も出てきます。原料や製法だけではなく、蔵元から消費者までの過程そのものを透明にする。そうすることで、価格に対する納得感を生み出すこともできます。

これからの日本酒に求められる「品質」とは、味や香りだけではないのかもしれません。どこで造られ、どこを通り、そして本当にその酒であることを証明できるのか——日本酒が世界の商品になっていく中で、トレーサビリティは「偽物を防ぐための技術」から、「日本酒そのものへの信頼を可視化する技術」へと、その役割を広げていく可能性があります。今回の白鶴の取り組みは、その変化を示す一例と言えそうです。

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能登の酒蔵を支援する「ナイト・サケマルシェ」から考える

日本酒は、基本的には飲むための商品です。造られ、流通し、購入され、飲まれる。その意味では、典型的な「消費財」の一つといえます。しかし、8月22日に発表された石川県酒造組合連合会の「ナイト・サケマルシェ」を見ると、日本酒には、単純な消費財という枠だけでは捉えきれない可能性があることに気づかされます。

「ナイト・サケマルシェ」は、9月4日に金沢市の「A_RESTAURANT(ア・レストラン)」で初開催されます。石川の地酒イベント「サケマルシェ」のプレイベントという位置づけで、テーマは「応援!能登の酒蔵」です。2024年1月の能登半島地震と、その後の豪雨災害で被災した酒蔵の再興を支援するため、イベント収益の一部が復興に充てられます。

当日は、石川県内15の酒蔵から蔵元や蔵人が集まり、9月4日に県内一斉発売される「ひやおろし」全23種類に加え、15種類のプレミアム日本酒を提供します。料理とのペアリングも楽しめる、先着80名限定の特別な夜です。参加費は前売り8,000円で、22枚の飲食用チケットとオリジナルグラスが付く仕組みになっています。

ここで重要なのは、参加者が購入するのが、単に「日本酒」という液体だけではないことです。酒蔵の人と直接話し、その土地で造られた酒を飲み、料理と合わせ、同じ時間を共有する。そして、その消費の一部が被災した酒蔵の再興につながっていく。そこには、商品を購入して終わる通常の消費とは異なる構造があります。

日本酒にはもともと、こうした性格がありました。地域の米と水を使い、地域の蔵で造られ、祭りや祝い事、食事の場で飲まれる——酒蔵は単なる製造工場ではなく、地域の歴史や文化を背負った存在でもあります。そのため、日本酒を飲むことは、ときに「その土地を知ること」や「その土地とつながること」にもなります。

今回の「ナイト・サケマルシェ」は、その性格を現代的なイベントとして明確にしたものともいえます。もちろん、日本酒を飲めば復興につながるという単純な話ではありません。しかし、消費という行為に「誰が造っているのか」「どこで造られているのか」「その土地は今どうなっているのか」という情報が加われば、商品の意味は変わります。

これは、日本酒業界にとって小さくない可能性です。価格や容量、味わいだけで比較される商品であれば、最終的には「どちらが安いか」「どちらが好みに合うか」という競争になりやすくなります。一方で、酒蔵の物語や地域との関係、人との出会いまで含めて価値を感じてもらえれば、日本酒は「モノ」から「体験」へ、さらに「関係」へと広がっていきます。

実際、石川県の「サケマルシェ」は2013年から、県内の飲食店と酒蔵が共演し、地酒と料理のペアリングを楽しむ場として続いてきました。2026年の本祭も10月3日に開催される予定です。「ナイト・サケマルシェ」は、その延長線上にありながら、さらに「支援」という意味を加えました。

日本酒は、飲めばなくなる商品です。しかし、飲んだ瞬間に消えてしまうのは酒だけではありません。そこに誰かの記憶が残り、土地への関心が生まれ、人とのつながりが生まれることがあります。非耐久消費財でありながら、消費だけでは終わらない——その二面性こそが、日本酒という商品の大きな特徴なのではないでしょうか。

能登の酒蔵を応援する一杯が、単なる一杯の酒ではなく、地域を知り、地域を支え、地域との関係をつくる一杯になる。「ナイト・サケマルシェ」は、日本酒が持つそんな可能性を、改めて示す取り組みといえそうです。

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日本酒はなぜ神前に供えられるのか ~ 富士山「鎮火祭」から考える酒と信仰

日本酒と信仰のつながりを考えさせるニュースが入ってきました。山梨県大月市の笹一酒造が、8月26日に北口本宮冨士浅間神社で行われる「鎮火祭」において、日本酒「旦」を参拝者に振る舞い、特別発売します。

「鎮火祭」は、富士山の噴火を鎮める祈りとして行われてきた神事で、450年以上の歴史を持つ北口本宮冨士浅間神社と諏訪神社の祭事です。笹一酒造は富士山への御神酒奉納を続けており、今回も「旦 清澄」「旦 光拝」などを振る舞います。

ここで興味深いのは、酒が単なる「祭りの飲み物」ではないことです。日本では古くから、酒は神に供えられ、その後、人々がいただくという形が繰り返されてきました。神前に供える酒は「御神酒」と呼ばれます。つまり酒には、「人間が楽しむもの」と「神に捧げるもの」という二つの顔があるのです。しかも日本酒は、米と水から造られます。米は大地から、水は山や川からもたらされます。そして、それらを人間が発酵という営みによって酒へと変えていきます。

富士山を信仰の対象として考えたとき、「旦」が御神酒として奉納される意味は、単に地元の酒だからというだけではありません。富士・御坂山地の水と山梨県産の米を用いて造られた酒が、富士山への祈りの場に戻っていく。そこには、土地から受け取ったものを、酒という形に変えて、再び神へ返すという循環を見ることができます。これは日本酒の大きな特徴の一つでしょう。

海外に目を向けると、酒と信仰の結びつきは決して日本だけのものではありません。たとえばキリスト教ではワインが重要な宗教的意味を持ち、聖餐式に用いられます。ユダヤ教でも、安息日や祭日の儀礼などでワインが用いられています。ただし、そこには日本との違いもあります。

キリスト教におけるワインは、宗教儀礼の中で特定の象徴的意味を担っています。一方、日本の御神酒は、特定の教義を象徴するというより、神と人との間をつなぐ「供物」として存在してきました。言い換えれば、欧米の宗教文化では「酒が何を象徴するのか」という意味づけが比較的明確なのに対し、日本では「酒を神に差し出し、ともにいただく」という行為そのものが重要だったのではないでしょうか。だからこそ、日本の祭りには酒が残り続けています。神に供え、祭りが終われば人が飲む。神と人が同じ酒を介してつながる。この「供える」と「いただく」の往復運動こそ、日本酒と信仰の関係を理解する鍵なのかもしれません。

「鎮火祭」で「旦」が振る舞われることも、現代の商品プロモーションだけでは捉えきれないものがあります。もちろん、酒蔵にとってはブランドを知ってもらう機会でもあります。しかしその根底には、土地の水と米から生まれた酒を、土地の信仰へと返していくという関係があります。

日本酒が海外へ広がる中で、こうした背景はむしろ重要になってくるのではないでしょうか。味や香り、製法を説明するだけでは伝えきれない日本酒の魅力があります。その酒がどの土地で生まれ、何を祈り、誰と分かち合ってきたのか。その物語まで含めて伝えたとき、日本酒は単なる「Rice Wine」ではなく、日本という土地の文化そのものとして理解される可能性があります。

富士山の火を鎮める神事に酒が供えられる。その一杯は、喉を潤すためだけの酒ではありません。山から与えられた水と大地から生まれた米を、人間が酒に変え、そして再び神へ返す。その循環の中に、日本酒が長い時間をかけて担ってきた役割が見えてきます。

日本酒と信仰の関係は、過去の遺産ではありません。むしろ「土地と酒の関係」を世界へ伝えていくうえで、これから改めて価値を持つ文化なのかもしれません。

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17年ぶりに動き出した福島県の日本酒用酵母開発 ~「県の酒」をつくる次の一手

福島県が、新たな日本酒用酵母の開発に乗り出しました。2029年度の実用化を目指すもので、県によるオリジナル酵母の開発は17年ぶりとなります。福島県は2026年の全国新酒鑑評会でも金賞受賞数20銘柄で2年連続の全国最多となっており、すでに高い評価を得ている県です。

そもそも福島県は、以前から「県として酒をつくる」ための研究を積み重ねてきました。代表的なのが1991年に開発された「うつくしま夢酵母」です。バナナやメロンを思わせる香りと、酸味の少ないソフトでマイルドな酒質を生み出す酵母として、県内の酒蔵で使われてきました。その後、より香りの高い吟醸酒を意識して2008年に開発されたのが「うつくしま煌酵母」です。リンゴやイチゴを思わせる香りを持つ複数の酵母が生まれ、鑑評会向けの酒などにも活用されました。

2029年度の実用化を目指す今回の動きは、単に新しい酵母を一つ増やすという話ではありません。これまでの福島県の酒造りを支えてきた技術を次の段階へ進め、「これからの福島の酒」を考える取り組みと見ることができます。

都道府県が独自の日本酒用酵母を開発する例は、決して珍しくありません。なかでも興味深いのが高知県です。

高知県では、県の工業技術センターが長年にわたって酒造業を支援し、さまざまな高知酵母を開発してきました。1993年に開発された「CEL-24」は、その代表例です。カプロン酸エチルやリンゴ酸を多く生成し、リンゴを思わせる華やかな香りと甘酸っぱさを持つ酒を生み出す酵母で、現在では高知を代表する存在になっています。県内では13蔵が使用しているとされます。

興味深いのは、CEL-24が最初から「高知の個性を代表する酵母」として成功したわけではないことです。当初は高知県の酒造業界でも使用に慎重な蔵がありました。ところが、その特徴を面白いと考えた酒蔵が使い続け、商品として育てたことで、やがて「CEL-24」という酵母そのものが酒の魅力として認識されるようになりました。

そして現在の高知県では、さらに新しい酵母の開発も進んでいます。高知県工業技術センターは2024年度の研究で、バナナのような香りを生み出す酢酸イソアミルに着目し、オフフレーバーを抑えながら高生産する酵母「AT10」「AT16」を選抜しました。つまり、CEL-24で成功したから終わるのではなく、その次の酒質をつくる研究へと進んでいるのです。

さらに高知県で注目したいのが、いわゆる「高知方式」です。県内の酒蔵が醸造に関するデータや失敗、成功例を共有し、お互いに学びながら酒質を高めていく取り組みです。酵母を県が開発し、それを各蔵が使い、さらに蔵同士が経験を共有する。こうした循環が、土佐酒全体の品質向上につながってきました。

この高知県の事例から考えると、都道府県単位で酵母を開発する意味が見えてきます。

酵母は、酒蔵が単独で開発するには時間も設備も必要です。しかし県の研究機関が開発を担えば、その成果を複数の酒蔵が利用できます。そして同じ酵母を使っても、米、仕込み、水、温度管理、造り手の技術によって酒の表情は変わります。共通の酵母があるからこそ、「同じ県の酒なのに、蔵によって違う」という面白さも生まれます。

福島県にも、すでに「うつくしま夢酵母」や「うつくしま煌酵母」といった県独自の酵母があります。また、酒米についても「夢の香」や「福乃香」など、県として開発してきた資源があります。それでは、なぜ今、17年ぶりに新たな酵母開発なのでしょうか。

一つには、日本酒を取り巻く市場そのものが変化したことが考えられます。これまでの鑑評会で評価される酒質だけでなく、食中酒、低アルコール、日本酒ビギナー向け、海外市場など、求められる味わいは広がっています。香り一つをとっても、かつての「吟醸香が高い酒」だけでは語れなくなっています。福島県がこれまで培ってきた酵母では対応しきれない新しい需要が生まれたからこそ、次の酵母を探す必要が出てきたとも考えられます。

そして今回の取り組みで重要なのは、「新酵母を開発すること」より、その後です。高知県のCEL-24が示したように、酵母は研究機関だけではブランドになりません。実際に酒蔵が使い、商品をつくり、消費者がその味わいを知ることで初めて地域の財産になります。

福島県でも、新しい酵母を県内の酒蔵が共通して使える仕組みにしていけば、「福島の新しい香り」という共通項を持ちながら、蔵ごとの個性を競う展開が可能になります。さらに、酒米や水、醸造技術、食文化、観光などと組み合わせれば、酵母は単なる醸造資材ではなく、福島の日本酒を語るための地域資源になっていくでしょう。

17年ぶりという時間の長さは、見方を変えれば、それだけ次の一手を慎重に考えてきたということでもあります。高知県では、酵母の開発が酒蔵の挑戦を生み、その挑戦が県全体の酒の個性につながりました。福島県にも、すでに全国トップクラスの酒造技術と実績があります。そこに新しい酵母が加わったとき、福島の酒は何を表現するのか。

今回の17年ぶりの研究は、一つの酵母をつくるプロジェクトではなく、「福島県という地域で、これからどんな日本酒をつくっていくのか」を考える出発点になりそうです。

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日本酒は「飲むもの」から「場をつくるもの」へ ~「はしご酒」の新しい世界

日本酒の楽しみ方が、少しずつ変わり始めています。一本の銘柄をじっくり味わうだけではありません。日本酒をきっかけに人が集まり、会話が生まれ、地域と地域、人と人がつながっていく。いま日本酒は、「飲むもの」から「場をつくるもの」へと、その役割を広げつつあります。

その動きを象徴するのが、8月20日に発表された「YORIMICHI SAKE KAIDO in 赤坂」です。森トラストが9月10、11日に東京ワールドゲート赤坂で開催するもので、福島県と九州地方から、東京では入手しにくい銘酒を含む20種類以上の日本酒が集まります。入場は無料で、17時から21時30分まで、仕事帰りに気軽に立ち寄れる設計です。

興味深いのは、このイベントが「日本酒を集めた場所」というだけではないことです。東京ワールドゲート赤坂内の飲食店との連携企画に加え、神谷町、赤坂、御殿山、丸の内という4エリアをつなぐデジタルスタンプラリーも実施されるのです。つまり、一つの会場で完結するのではなく、「次の場所へ行く」ことそのものが体験として組み込まれています。

日本酒はもともと、人が集まる場所と非常に相性のいい酒でした。祭り、宴会、祝い事、地域の寄り合いなど、日本酒には「誰かと一緒に飲む」という文化が深く根付いています。しかし現代では、家庭で日本酒を飲む機会が減り、若い世代にとっては「日本酒を飲む場所」そのものが見つけにくくなっています。だからこそ、これから重要になるのは、酒そのものを売ることだけではなく、日本酒を飲む理由と場所をつくることではないでしょうか。

そこで注目したいのが「はしご酒」です。一軒目で福島の酒を飲み、二軒目で九州の酒を飲む。さらに料理を変え、店を変え、そこで出会った人と話をする。そうすると日本酒は、一杯ごとの商品ではなく、「次の場所へ人を動かすもの」になります。

「YORIMICHI SAKE KAIDO」という名称そのものが、実はこの可能性を示しています。「目的地」ではなく「寄り道」です。仕事から自宅へ帰る途中に少し寄り道する。その寄り道が一軒で終わらず、二軒、三軒と続いていく。日本酒が街を歩くきっかけになれば、飲食店にも、商業施設にも、そして地域にも新しい人の流れが生まれます。

さらに面白いのは、これを「日本酒イベント」の枠から外して考えられることです。たとえば赤坂で福島の酒を飲んだ人が、次は実際に福島へ行ってみる。九州の酒に興味を持った人が、今度は酒蔵を訪ねる。東京での「はしご酒」が、地方への「はしご旅」へと変わる可能性があります。つまり、日本酒がつくる「場」は、飲食店のテーブルだけではありません。街から街へ、東京から地方へ、人から人へと広がっていくのです。

日本酒の未来を考えるとき、「どんな酒を造るか」はもちろん重要です。しかし、それと同じくらい「その酒を、誰と、どこで、次にどこへ行きながら飲むのか」が重要になってくるでしょう。日本酒が人を一つの場所に集めるだけでなく、人を次の場所へ送り出す酒になる——「はしご酒」は、単なる酔い方ではありません。日本酒を起点に街を歩き、人と出会い、最後にはその酒が生まれた土地まで訪ねていく――そんな新しい日本酒文化の入口になり得るのです。

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日本酒は「聴く」ことで身近になる ~ ポッドキャストとの相性を考える

日本酒の楽しみ方が、また一つ広がろうとしています。2026年8月18日から、新しいポッドキャスト番組『ちょいと日本酒飲んでかない?』が配信を開始します。

番組を手掛けるのは、お笑いコンビ「三四郎」の相田周二さんと、東京・経堂の老舗酒屋「つきや酒店」4代目の柱知香良さんです。日本酒初心者の目線と、酒を売り続けてきたプロの知識を組み合わせ、「日本酒は難しい」という固定観念を崩していくことを狙います。音声版は毎週火曜日17時、ビデオ版は毎週金曜日17時に配信される予定です。

興味深いのは、この番組が日本酒を「学ぶ番組」にしようとしていないことです。例えば、「ワンカップはすごい」「炭酸で割ってもいい」「お湯割りでもいい」「好きな飲み方で楽しめばいい」といった、従来の日本酒の常識から少し外れた話題を取り上げます。つまり、日本酒について詳しくなることを入口にするのではなく、「なんだ、日本酒ってもっと自由でいいんだ」と感じてもらうことを入口にしているのです。

日本酒は、味や香りだけの商品ではありません。どこの土地で造られたのか、どんな蔵が造っているのか、なぜこの米を使ったのか、杜氏や蔵人は何を考えているのか。一本の酒の背後には、実に多くの「物語」があります。しかし、店頭で瓶を見ただけでは、その物語まで伝わりません。ラベルに情報を詰め込めば、今度は「日本酒は難しい」という印象を強めてしまいます。ところが、声ならば事情が変わります。

誰かが楽しそうに酒について話している。その話を聞きながら、こちらもグラスを傾ける。すると日本酒は「知識を覚える対象」ではなく、「人と一緒に楽しむもの」になります。これは居酒屋で店主から酒の話を聞く体験にも似ています。ポッドキャストは、その「酒場の会話」を場所の制約から解放できるのです。

しかも、ポッドキャストは「ながら聴き」との相性が抜群です。仕事から帰る途中、料理をしている時間、晩酌をしている時間。そこに日本酒の話が流れてくれば、酒を飲む時間そのものがコンテンツになります。これは、日本酒業界にとってかなり重要な変化です。

これまで日本酒の情報発信は、写真や文章、動画など「目で見る」ものが中心でした。しかし、酒そのものが「味覚」と「嗅覚」の商品であることを考えれば、むしろ耳から入る情報には大きな可能性があります。特に重要なのが、「声には人柄が乗る」ということです。蔵元の声、酒販店の声、料理人の声、飲み手の声。その人が酒について語ることで、銘柄そのものに人格が生まれます。スペックだけでは伝わらない「この人が薦めるなら飲んでみたい」という感情を生み出せるのです。

今回の番組が、お笑い芸人と老舗酒屋4代目という組み合わせになっていることにも意味があります。専門家だけが語れば「勉強」になり、芸能人だけが語れば「企画」になりがちです。しかし、初心者目線と専門家の会話が組み合わされば、日本酒を知らない人が自然に会話へ入っていけます。

日本酒の未来に必要なのは、知識を持つ人を増やすことだけではありません。「ちょっと飲んでみようかな」と思う人を増やすことです。『ちょいと日本酒飲んでかない?』というタイトルには、その意味でも象徴的な力があります。「日本酒を勉強しませんか」ではなく、「ちょいと飲んでかない?」なのです。

日本酒が次に目指すべき場所は、専門店や居酒屋だけではありません。イヤホンの向こう側にいる誰かと一緒に酒を飲むような、そんな新しい酒場の形なのかもしれません。日本酒は、これから「飲むもの」であると同時に、「聴くもの」にもなっていくのではないでしょうか。

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全国燗酒コンテスト2026から見える日本酒の新しい温度感

8月4日、「全国燗酒コンテスト2026」の審査会が行われ、この度、その結果が発表されました。17回目となる今回は、全国227社から971点が出品され、54名の審査員がブラインドで審査。最高金賞51点、金賞251点、推奨186点が選ばれました。前年の2025年は230社・939点、最高金賞50点、金賞237点でしたから、出品数は32点、金賞以上の受賞数は15点増えています。燗酒への関心そのものが、少なくとも出品という形では衰えていないことが分かります。

しかし、今回の結果で注目したいのは、単純な出品数の増減ではありません。実は「燗酒とは何か」という考え方そのものが、少しずつ変わっているように見えるのです。

2024年のコンテストは237点の「お値打ちぬる燗」、237点の「お値打ち熱燗」など、価格帯と温度を軸にした5部門構成でした。最高金賞は全体で48点。受賞酒を見ると、「本仕込 浦霞」「開華 純米酒」「特別純米 北秋田」「和香牡丹 福貴野」など、いわゆる食中酒として親しまれてきたタイプが目立ちます。

2025年になると、出品は939点へ増加。さらに「お値打ち」と「プレミアム」を分けながら、にごり酒、古酒、樽酒などを対象とする「特殊ぬる燗部門」が設けられました。最高金賞には「澤乃泉 普通酒 CLASSICラベル」「北鹿 本醸造 生酛」「瑞鷹 純米にごり酒」などが選ばれています。つまり、燗酒は「昔ながらの普通酒や本醸造を温めるもの」だけではなくなりつつありました。

そして2026年、その傾向はさらに明確になります。今年は7部門へ拡大され、「極上お値打ちぬる燗」「極上お値打ち熱燗」「プレミアム燗酒」「にごり酒」「古酒」が独立しました。特に最高金賞を見ると、「羽陽錦爛 純米大吟醸 雪女神40」「純米大吟醸 善祥」「作 穂乃智」「紀土 無量山 純米吟醸」など、従来なら「燗より冷酒」というイメージを持たれやすい吟醸系・高価格帯の商品が並びます。これは重要な変化です。

燗酒の進化とは、「熱くしてもおいしい酒」が増えたことだけではありません。むしろ、「この酒は冷やして飲むもの」という固定観念が崩れ、酒質に合わせて温度を選ぶ時代になってきたことに意味があります。実際、2026年の最高金賞には「菊水の淡麗甘口」「大吟醸 越後桜」のような商品が「お値打ちぬる燗」で選ばれています。

一方、「一ノ蔵 四段仕込特別純米酒」「からくち 浦霞」「上撰 白鶴」などは「お値打ち熱燗」で評価されています。つまり現在の燗酒は、「熱燗」という一つの飲み方ではありません。42~45℃で香りや旨味を開かせる酒もあれば、50~55℃でキレや力強さを引き出す酒もある。そして、純米酒、本醸造、吟醸、大吟醸、にごり酒、古酒まで、その対象は広がっています。

2024年から2026年への変化を見ると、燗酒は「伝統への回帰」ではなく、むしろ日本酒の温度設計を自由にする方向へ進んでいるのではないでしょうか。

冷酒だけでは分からなかった香りや旨味が、温度を変えることで姿を現す。そう考えると、燗酒は古い飲み方なのではなく、日本酒をもう一度発見するための新しい方法なのかもしれません。

秋から冬に向かうこれからの季節、「燗酒を飲む」のではなく、「この酒は何度で一番面白くなるのか」と考えてみる。2026年の全国燗酒コンテストが示しているのは、そんな日本酒の楽しみ方の広がりなのです。

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「蛇口から日本酒」はどうなる ~ 観光名物に育てるための条件

「蛇口からジュース」と聞けば、愛媛を思い浮かべる人は多いでしょう。愛媛では、かつて「蛇口をひねるとみかんジュースが出てくる」という話が冗談のように語られていました。それが現在では、松山空港などで実際に体験できる観光コンテンツとなっています。

その「蛇口」という強烈な記号を、日本酒で再現しようという取り組みが新潟で始まります。

新潟県は8月19日から9月8日まで、新潟空港に体験型ブース「新潟で乾杯」を開設します。目玉となるのは、なんと「蛇口から日本酒」です。上越、中越、下越、佐渡という県内4地域の地酒を、4基の蛇口から提供するというユニークな仕掛けです。さらに甘酒や県産フルーツジュース、郷土料理との組み合わせも用意されます。

ニュースとしては、十分すぎるほど面白い企画です。
「新潟空港に行ったら、日本酒が蛇口から出てきた。」
この一言はSNSでも強いでしょう。写真や動画にもなり、「一度やってみたい」という旅行動機にもなります。しかし、ここで愛媛の「蛇口からポンジュース」と比較すると、日本酒ならではの難しさが見えてきます。

ポンジュースには、「愛媛」「みかん」「ポンジュース」という非常に分かりやすい一本の軸があります。蛇口から出てくるものを見れば、「愛媛らしいものを飲んでいる」と直感的に理解できます。ところが日本酒には、それがありません。甘口もあれば辛口もあり、香りの華やかな酒もあれば、米の旨味を楽しむ酒もあります。淡麗な酒、濃醇な酒、熟成酒、発泡性の酒など、その味わいは極めて多様です。つまり、「蛇口から日本酒」という話題性だけでは、地域観光への寄与は限定的にならざるを得ません。むしろ、この多様性をどう見せるかが成功の鍵になるでしょう。

今回の企画では、4地域の酒を週替わりで提供することになっています。これは実証事業としては非常に面白い仕組みです。しかし、観光コンテンツとして長く育てることを考えると、「週替わり」には少し気になるところもあります。旅行者は、必ずしも酒の提供スケジュールに合わせて新潟を訪れるわけではありません。「SNSで見た酒を飲みに新潟へ行ったのに、訪問した週には別の酒だった」ということになれば、リピーターには面白くても、初めて訪れる観光客には不親切です。

もしも将来的に常設化するのであれば、「固定された4本+変化する1本」という考え方の方が、効果は高いのではないでしょうか。上越、中越、下越、佐渡から、それぞれ「これを飲めばその地域が分かる」という代表的な一本を常設し、もう一本を「今月の酒」「季節の酒」「限定酒」として入れ替えるのです。そうすれば、初めて訪れた人はいつでも新潟の4地域を飲み比べることができます。一方で、何度も訪れる人には「今日は何が出ているだろう」という楽しみが残ります。

さらに重要なのは、4本を単純に「地域別」にするだけではなく、味わいの違いが直感的に分かるようにすることです。日本酒は種類が多く、初心者には「何を選べばいいのか分からない」という壁があります。蛇口をひねって飲み比べをしても、その味わいの違いが分からなければ失望に変わります。しかし、蛇口をひねるたびに違う味が出てきて、「私はこの味が好きだ」と発見できれば、その「分からない」が「選ぶ楽しさ」に変わります。ここに、日本酒ならではの観光コンテンツとしての可能性があります。

そして、もう一つ忘れてはいけないことがあります。蛇口から出てくる一杯を、そこで終わらせないことです。本当に成功させるのであれば、「おいしかった」で終わってはいけません。

「この酒はどこの蔵なんだろう」
「実際に酒蔵へ行ってみたい」
「この酒に合う料理を食べてみたい」

そんな次の行動につなげる必要があります。つまり、蛇口は観光の目的地ではなく、新潟を知る入口なのです。空港という場所は、その意味でも非常に優れています。新潟を離れる人が最後に一杯飲めば旅の余韻になりますし、新潟に到着した人が最初に一杯飲めば、これから始まる旅への期待になります。

もしそこに「あなたが選んだ酒の酒蔵へ行くなら、ここから何分」「この酒に合う郷土料理はこの店」といった情報までつながれば、一杯の日本酒が地域全体への導線になります。

愛媛の「蛇口からポンジュース」が成功した理由は、蛇口そのものが面白かったからだけではありません。「愛媛に来た」という感覚を、一瞬で与えてくれるからです。新潟の場合、ポンジュース一本に絞ることができる愛媛とは違います。多くの酒造を抱え、それぞれに特色のある味わいが醸されるところにこそ、新潟の魅力があるのです。だから、これを一つの味で固定してしまってはなりません。むしろ、「蛇口をひねるたび違う新潟に出会える」という物語にする必要があるのです。

「蛇口からポンジュース」が愛媛を象徴する一つの味を作ったのに対し、「蛇口から日本酒」は、日本酒の多様性そのものを新潟の魅力として見せる——そのためには、いつ行っても体験できる「定番」と、行くたびに変わる「発見」の両方が必要です。

今回の取り組みが単なる話題作りで終わらず、常設の観光コンテンツへと成長するなら、「蛇口から日本酒」は単なる奇抜なアイデアではなくなるでしょう。それは、日本酒を飲ませる仕掛けではありません。一杯の酒から、その土地を旅させる仕掛けです。そしてそこまで育ったとき、新潟の「蛇口から日本酒」は、愛媛の「蛇口からジュース」と肩を並べる、新しい地域の名物になっていくのではないでしょうか。

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