酒蔵は都市に出てこられるか ~「haccoba 内神田醸造所」の可能性

東京・大手町に、少し変わった醸造所が誕生します。今月、福島県を拠点とするhaccobaが「haccoba 内神田醸造所」を大手町ゲートビルディング2階にプレオープンしました。面積は約72.6平方メートル。ここで造られるのは、日本酒の醸造技術をベースに、フルーツやハーブなども取り入れる「クラフトサケ」です。醸造所には、酒造りだけでなく、地域の農産物や食に関わる人たちとの共創を紹介するラボ・ショールームの機能も設けられます。

haccobaは福島県南相馬市小高区に2021年、浪江町に2023年から醸造所を構えてきました。つまり今回の東京進出は、地方から都市へ移るというより、地方の酒造りを都市につなぐ新しい拠点をつくるという意味合いが強いのです。

「酒蔵=地方」という常識を変える

これまで日本酒の醸造所といえば、米、水、気候、地域の歴史などと結びついた地方の風景を思い浮かべることが多かったでしょう。もちろん、その地域性はこれからも日本酒の重要な価値です。しかし、酒を造る場所まで必ず地方でなければならない、という時代ではなくなりつつあります。大手町に醸造所があれば、働く人、企業、飲食店、観光客など、これまで酒蔵を訪れる機会がなかった人が、酒造りそのものに触れられます。「酒を買ってもらう場所」ではなく、「酒が生まれる過程を見てもらう場所」になるわけです。これは日本酒にとって大きな意味があります。

日本酒は完成した商品だけを見れば、ほかのアルコール飲料との違いが分かりにくいことがあります。しかし、米や発酵、地域の食材、人の技術、歴史まで知れば、一杯の酒が持っている情報量は一気に増えます。都市型醸造所は、その「背景」を都市生活者に直接伝えることができます。

醸造所が「交流拠点」になる

今回さらに興味深いのは、haccoba 内神田醸造所が単独の酒蔵として存在するのではなく、三菱地所が運営する農と食の産業支援施設「MINORIWA」の中に入ることです。施設には交流スペースや厨房、イベントスペース、サービスオフィスなどが設けられ、農業や食に関わる人たちが集まる場になります。haccobaも地域の生産者と都市生活者をつなぐ「めぐるめくプロジェクト」と連携する予定です。

ここに都市型醸造所のもう一つの可能性があります。それは、酒蔵を「製造設備」から「人と地域を結ぶ装置」へ変えることです。福島の農家がつくったものを東京で紹介する。東京の料理人と地方の生産者が酒をきっかけにつながる。企業との共同開発が生まれる。消費者が造り手と直接話す——酒そのものだけではなく、酒を中心に人や情報が動き始めます。

「東京で造る」こと

都市に醸造所をつくると、地方の酒蔵が東京へ移転してしまうようにも見えます。しかし、今回のhaccobaの展開はむしろ逆です。小高、浪江という地域の拠点を残したまま、東京に新しい接点をつくります。つまり「地方か都市か」ではなく、地方と都市を行き来するための醸造所です。

これから日本酒業界では、この考え方が重要になるかもしれません。人口減少や飲酒人口の変化を考えれば、酒蔵の周辺だけで消費者を待つことには限界があります。一方で、都市には地方の酒や食に関心を持つ人が集まっています。ならば酒蔵のほうから都市へ出ていく——ただし、商品を運ぶだけではありません。人、文化、技術、地域の物語まで一緒に運ぶのです。都市型醸造所には、そんな役割が期待できます。

日本酒の未来は「酒蔵の場所」から変わる

大手町という日本を代表するビジネス街に、小さな醸造所ができる。一見すると意外な組み合わせですが、考えてみれば非常に現代的です。これからの酒蔵は、酒を造るだけの場所ではなく、地域と都市、農業と飲食、造り手と消費者を結ぶ場所になっていくのかもしれません。

もちろん、都市で醸造することには設備、物流、規模、法制度などさまざまな課題があります。すべての酒蔵が都市へ進出すればよいという話でもありません。それでも、大手町に生まれるこの小さな醸造所は、日本酒の未来を考える上で一つの実験になります。

酒蔵は地方にあるもの——そんな当たり前が変わったとき、日本酒そのものの楽しみ方も変わるのではないでしょうか。そしてその先には、「日本酒を飲む」だけではなく、「日本酒が生まれる場所に参加する」文化が広がっていく可能性があります。

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八海醸造がMLBと描く新しい日本酒のかたち

八海醸造が9月14日から、「Hakkaisanを買って当てよう!MLB™応援キャンペーン」の応募受付を始めました。対象となる八海山の日本酒やあまさけを1,650円以上購入すると応募でき、抽選で100名に「八海山×MLB™オリジナル日本酒セラー」や、30球団のデザインを楽しめる「特別本醸造 八海山 MLB™ 30球団コレクションセット」などが当たります。

このニュースだけを見ると、MLBとのコラボレーションによる販売促進策に見えます。しかし、八海醸造の最近の動きを追ってみると、もっと大きな変化が見えてきます。

八海醸造は2025年からMLBとの日本国内でのオフィシャルスポンサー契約や、ロサンゼルス・ドジャースとのパートナーシップを進め、「八海山」を公式日本酒として展開してきました。2026年にはMLB30球団のロゴを使った180mlのアルミ缶を発売し、さらに「あまさけ」にもMLBのコレクションラベルを展開しています。つまり、これは日本酒を「酒好きのための商品」から、野球を見る時間に楽しむ商品へと置き換えていく試みでもあるのです。

さらに注目したいのが、八海醸造の事業領域です。2026年には「魚沼の里」限定の大吟醸を発売する一方、ライスウイスキーやジンなどにも取り組んでいます。グループではニセコ蒸溜所を展開し、「風媒花」が世界的なコンペティションで評価されるなど、日本酒以外の酒類にも積極的です。一方で、八海醸造自身は2025年の新体制発表で、「発酵と創造の力」を生かし、より多くの人に豊かな時間を提供する「発酵創造企業」を目指す考えを示しています。

ここには、日本酒メーカーの大きな発想転換があります。「何を造るか」だけではなく、「それを誰が、いつ、どんな時間に楽しむのか」まで商品として考えるようになっているのです。

この動きが日本酒業界に与えた影響は、単純な海外進出とは少し違います。従来、日本酒の海外展開では「日本文化の代表として日本酒を知ってもらう」という発想が中心でした。しかし八海醸造は、MLBという巨大なスポーツ文化の中に日本酒を置こうとしています。野球観戦、友人との時間、限定デザイン、コレクション、地域の食。そこに日本酒を組み込むことで、日本酒そのものに興味がなかった人にも接点をつくります。

しかも今回のキャンペーンでは、賞品の一つに魚沼産コシヒカリとご飯のお供のセットを用意しています。これは象徴的です。八海醸造が売ろうとしているのは、もはや一本の酒だけではありません。南魚沼という土地、その食、発酵文化、そしてそこで過ごす時間まで含めた価値なのです。

八海醸造の動きから見えてくるのは、日本酒業界の競争軸が変わりつつあるということです。もちろん、酒の味が重要であることは変わりません。しかし、これからは「どんな酒か」だけではなく、「どんな場面で思い出してもらえるか」が重要になります。

MLBを見ながら飲む八海山。魚沼を訪れて飲む八海山。料理と一緒に楽しむ八海山。あるいは、あまさけを日常の健康習慣として取り入れる——こうして日本酒が生活のさまざまな場面に入り込んでいけば、日本酒そのものの市場を広げる可能性があります。

八海醸造の挑戦は、酒蔵が酒を造って売るという従来の枠を越え、「日本酒がある時間」そのものをつくる方向へ進んでいるように見えます。今回のMLB応援キャンペーンは、その象徴的な一手なのではないでしょうか。

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日本酒が長く続く理由

茨城県筑西市の来福酒造が、創業310年を迎えました。1716年、享保元年に創業した同蔵では、9月12日に蔵開きが開催され、酒蔵の一般開放や全商品の試飲、鏡開き、酒粕詰め放題などを通じて、310年の歴史を多くの人に伝えました。

310年という数字だけでも驚きますが、日本酒業界を見渡すと、さらに長い歴史を持つ酒蔵があります。茨城県笠間市の須藤本家です。同蔵は1141年、永治元年に酒造りを行っていた記録が残り、現在は55代目が蔵を継いでいます。一般に「日本最古の酒蔵」として知られる存在です。

来福酒造が310年。そして須藤本家は約900年です。これほど長い時間を、日本酒の酒蔵はどのように生き抜いてきたのでしょうか。

酒蔵は「地域」とともに続いてきた

日本酒の長寿企業を考えるとき、一つの大きな特徴があります。それは、酒蔵が単なる製造業ではなく、地域と深く結びついた存在だったことです。酒造りには米と水が必要です。そして、その米を作る人がいて、酒を売る人がいて、飲む人がいる。酒蔵は一つの商品を作っているだけではなく、地域の農業や商業、食文化とつながっています。

来福酒造も、地元を中心とした酒米の契約栽培に取り組み、自社で精米し、酵母の培養も行っています。さらに海外へも販路を広げています。つまり、長く続いた酒蔵には「昔から酒を造っている」というだけではなく、その土地で酒を造る意味を持ち続けてきたという共通点があります。

長寿とは「変わらないこと」ではない

須藤本家にも興味深い考え方があります。代々伝えられてきた家訓は、「酒・米・土・水・木」。良い酒を造るためには、その酒を取り巻く環境そのものを守らなければならないという考え方です。敷地内の木を切らないという教えも受け継がれています。

一方で、長寿企業だからといって、すべてを昔のままにしているわけではありません。来福酒造は、伝統的な技術を受け継ぎながら、花酵母を使った酒造りや、ワイン製造への挑戦、海外展開などにも取り組んできました。2006年には、それまでの杜氏による酒造りから社員による製造へと移行しています。ここに、日本酒の長寿企業が生き残ってきた理由があるように思います。

守るものは守る。しかし、方法まで守る必要はない。時代が変われば、人も、消費者も、流通も変わります。それでも「何を大切にするのか」という部分を失わなければ、方法を変えることは伝統を壊すことではありません。

次の100年に必要なのは「続ける理由」

これから日本酒の酒蔵が存続していくためには、単に古い歴史を誇るだけでは足りないでしょう。
「なぜ、この土地で酒を造るのか」
「なぜ、この酒を飲んでもらいたいのか」
「次の世代に何を残したいのか」
こうした問いに答えられることが重要です。

歴史は、それだけでは商品にはなりません。しかし、長い歴史の中で積み重ねてきた信用は、他の商品には簡単に真似できない価値になります。だからこそ、酒蔵が守るべきなのは「昔の形」ではなく、これまで積み重ねてきた信用と、酒を造る意味なのではないでしょうか。

来福酒造の310年と、須藤本家の約900年。二つの酒蔵が教えてくれるのは、長く続く企業とは「変わらない企業」ではないということです。時代が変わるたびに、自分たちが何者なのかを問い直し、それでも残すべきものを次の世代へ渡してきた企業なのです。

日本酒の酒蔵にとって、これからの100年は決して過去の延長線上にあるわけではありません。飲み方も、消費者も、酒造りを支える環境も変わっていきます。それでも、その変化の中で「この酒蔵がある意味」を失わなければ、酒蔵はまた次の時代へ進むことができるでしょう。310年という歴史は、終着点ではありません。次の100年を始めるための、現在地なのです。

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VTuberコラボ日本酒問題から考える日本酒ブランドのこれから

造り手が知らないコラボ日本酒

日本酒とVTuberを組み合わせたコラボ商品をめぐり、酒蔵の許諾を得ていなかったことが明らかになり、企画が中止されました。

問題となったのは、8月に開催された「神田明神納涼祭り」に関連して企画された商品です。18組、計20人のVTuberの限定ラベルを、諸橋酒造が製造する清酒に施した商品として告知され、720ミリリットル税込3800円で受注が始まっていました。ところが諸橋酒造は8月18日、自社とは関係のない会社が、無断で自社製造をうたった商品を販売しているとして注意喚起。9月3日には「一切許諾したことはない」と改めて表明し、弁護士に依頼して対応していることも明らかにしました。

その後、企画側は9月11日、販売を取りやめ、企画そのものを中止すると発表しました。説明によれば、地元のコーディネーターを通じて酒販店に相談し、その酒販店が諸橋酒造の特約店だったことから、商品化に向けた調整が進んでいると認識していたものの、実際には酒蔵の了解には至っていなかったということです。商品は製造・出荷されておらず、代金の支払いや商品の引き渡しも発生していません。また、神田明神納涼祭り側も、許可していたのは祭りの名称やロゴの使用、出店エリアでの告知などに限られ、商品の企画・製造・販売や酒蔵との契約には関与していないと説明しています。

日本酒のブランドはラベルだけではない

日本酒には、酒蔵の名前、銘柄、地域、歴史、造り手、そして飲んできた人たちの記憶があります。ラベルに書かれた名前は、単なる商品名ではありません。だからこそ、日本酒のブランドは、一般の商品以上に「信用」と結びついています。

たとえば、ある酒蔵の名前が付いた日本酒を見れば、消費者はその酒蔵が品質を確認し、責任を持って商品として世に出したものだと考えます。そこには、長年かけて築かれてきた信頼があります。今回の問題が示したのは、その信頼が、商品そのものが存在する前からすでに消費者との関係を作っているということです。

VTuberとのコラボそのものは、日本酒に新しい飲み手を呼び込む可能性があります。若い世代に銘柄を知ってもらい、これまで日本酒を飲まなかった人が酒蔵に興味を持つきっかけにもなります。しかし、そこに「酒蔵の名前」を使うのであれば、その名前が持つ信用まで一緒に扱うことになります。

ブランドとは何か

日本酒業界では、アニメ、ゲーム、音楽、地域イベント、観光など、異なる分野とのコラボレーションが増えています。これは、日本酒にとって大きな可能性です。日本酒だけを見ている人に日本酒を売るのではなく、日本酒を知らない人が別の入口から入ってくる。そうした「入口の多様化」は、これからますます重要になるでしょう。

一方で、ブランドを広げるほど、誰が何に責任を持つのかを明確にする必要があります。今回の件では、企画者、酒販店、イベント、販売主体、VTuberなど、多くの人や組織が関わっていました。そのため、ブランドの向こう側にある「責任」が見えにくくなっていたのかもしれません。

日本酒のブランドは、誰でも自由に利用できる「名前」ではありません。ブランド名は、有名になるためだけにつけられたものではないのです。そこには、酒蔵が積み重ねてきた時間と信用があります。

日本酒は、これまで酒蔵が守ってきたものです。しかしこれからは、酒蔵だけでブランドを作るのではなく、多くの人と一緒に育てていく時代になるのかもしれません。だからこそ、コラボレーションで最も大切なのは「話題になること」ではなく、互いの信用を守ることなのだと思います。

日本酒のブランドとは、ラベルに印刷された単なる名前ではありません。その背後にある市場との信頼の上に成り立つものです。ゆえに、それを手に取る者にも最低限の責任を負う必要があると思います。

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IWCとアジアの品評会が示す新しい日本酒評価軸

日本酒が海外で評価される機会が増えています。9月に入り、イギリスで開催される世界的な酒類コンペティション「IWC(インターナショナル・ワイン・チャレンジ)」では、日本酒部門の最高賞に「天美 純米吟醸 蛍天」が選ばれました。今年は1,700を超える日本酒が出品されるなど、世界から日本酒を見る視線は、以前とは比べものにならないほど大きくなっています。一方、9月9日には香港で「Oriental Sake Awards 2026」の結果も発表されました。こちらも専門家による審査ですが、アジアの市場を意識した品評会です。

この二つを並べてみると、興味深いことが見えてきます。それは、「世界で評価される日本酒」といっても、その評価は一つではないということです。

「世界一」だけでは見えない日本酒

日本酒の海外進出というと、どうしても「どの銘柄が世界一になったのか」という話題に目が向きます。もちろん、権威ある賞を受賞することは、蔵にとって大きな意味があります。海外の販売店や飲食店にとっても、商品を選ぶ際の分かりやすい目印になります。しかし、日本酒を飲む人が増えていけば、やがて「誰が一番高く評価したか」だけでは足りなくなります。

例えば、ヨーロッパの食文化の中で評価される日本酒と、香港やシンガポールなどアジアの都市で好まれる日本酒が、まったく同じとは限りません。食事との合わせ方、甘辛の好み、香りに対する感覚、価格に対する考え方など、それぞれの市場には異なる背景があります。

つまり、日本酒が世界に広がるということは、「世界共通の一つの基準に日本酒を合わせる」ということではなく、それぞれの地域で異なる評価軸が生まれていくことなのではないでしょうか。

評価されることで酒蔵の可能性も広がる

品評会の役割も変わっていくかもしれません。国内の鑑評会では、長く「どれだけ優れた酒を造れるか」という技術的な評価が重要でした。一方、海外のコンペティションでは、その酒がどのような料理や文化の中で受け入れられるのかという視点も重要になります。

これは酒蔵にとって、新しい可能性です。「賞を取るための日本酒」を造るのではなく、「この地域の食事と合わせるなら、この日本酒」「この国の人が楽しむなら、この味」というように、日本酒そのものを世界の食文化との関係の中で考えられるようになるからです。そして、それは日本酒の画一化とは逆の方向に進む可能性があります。

世界に広がるほど「日本らしさ」が問われる

海外で日本酒が知られるようになるほど、酒蔵には「何を世界に届けたいのか」という問いも生まれます。単純に海外で売れる味に変えてしまえば、日本酒そのものの個性が失われるかもしれません。しかし、日本国内だけの価値観に閉じてしまえば、新しい飲み手との接点を失います。重要なのは、その間にあるのではないでしょうか。土地の米、水、造り手の考え方といった日本酒の個性を持ちながら、それぞれの地域の食文化や飲酒習慣と出会っていく。その過程で、新しい評価が生まれていくのだと思います。

IWCのような世界的な舞台で評価されることも、香港のようなアジア市場で評価されることも、日本酒にとっては同じ「海外進出」ではありません。それぞれが違う入口から日本酒の価値を発見しているのです。

これからの日本酒に必要なのは、「世界一の日本酒」を一つ決めることだけではないでしょう。世界のさまざまな場所で、「この土地では、この日本酒がいい」と言われる酒が増えていくこと。その積み重ねこそが、日本酒を本当の意味で世界の酒にしていくのではないでしょうか。

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「変わらないために変わる」老舗が貯蔵に投じた大きな意味

新潟県長岡市の老舗酒蔵・吉乃川が、ブランドを全面的に刷新します。1548年創業という長い歴史を持つ吉乃川は、ロゴやラベルだけでなく、商品体系、酒質設計、酒造りの環境、品質管理、設備までを見直しました。2026年9月11日に新商品を蔵出しし、15日頃から店頭販売を始めます。長年親しまれてきた「極上吉乃川シリーズ」を終売するという、大胆な決断も含まれています。

今回の刷新で特に注目したいのが、「貯蔵」です。吉乃川は今回、搾った酒をできるだけ負担なく扱い、瓶詰め後は冷蔵環境で保管する新たな体制を整えました。その象徴が冷蔵製品倉庫です。これまで720ml瓶で約5万本だった収容能力を、約30万本へと一気に拡大しています。しかも対象は一部の高級酒だけではありません。スーパーや飲食店などで日常的に飲まれる主力商品まで、より良い状態で届けることを目指しています。

ここには、日本酒業界にとって非常に重要な考え方があります。これまで酒蔵の品質向上というと、原料米、精米、麹、酵母、発酵、搾りといった「造る工程」に注目が集まりがちでした。しかし、どれほど素晴らしい酒を造っても、瓶詰め後の保管や流通によって品質が変化してしまえば、「造ったときのおいしさ」を消費者に届けることはできません。つまり吉乃川は、酒造りのゴールを「搾った酒を完成させること」から、「消費者が飲む瞬間まで品質を守ること」へ広げようとしているのです。

しかも、30万本という規模が意味するところは大きいでしょう。高級酒だけを徹底管理するのであれば、いわば「プレミアム商品の品質保証」です。しかし、日常酒まで冷蔵環境で保管するという発想は違います。日本酒を「特別な日に飲むもの」だけではなく、「毎日の食卓に戻す」ために、その日常酒そのものの品質を底上げしようとしているからです。

今回、吉乃川は商品を「至高の酒」「特別な酒」「日々の酒」「原点の酒」というカテゴリーに整理し、「日々の酒」には新ブランドの「清流美」「渓流美」を投入します。「清流美」は伝統的な酒質を受け継ぎながら現代の食卓に合わせ、「渓流美」は酸味や果実感、低アルコールという方向から、日本酒に馴染みのない層にも間口を広げようとしています。これは、現在の日本酒市場が抱える矛盾への一つの答えにも見えます。

日本酒は、海外を含めて「高品質」「高価格」の価値が評価される一方、国内では日常の酒としての存在感が弱くなっています。吉乃川でも、愛好家や特別な日に向けた高級品だけでは、日本酒が日々の生活から離れてしまうという趣旨の考えを示しています。だからこそ、地域で普段の晩酌の酒を造ってきた蔵として、日本酒の裾野を広げる役割に取り組むわけです。その意味では、今回のリブランディングは「高級化」とは反対方向の挑戦ともいえます。

もちろん、高級酒の価値を否定するものではありません。しかし、日本酒産業全体を考えたとき、特別な一本だけが評価されても、日常的に飲まれる酒が細ってしまえば市場そのものが縮小してしまいます。だからこそ、日常酒を「安い酒」ではなく、「きちんと品質管理された、毎日飲みたい酒」として再構築することには大きな意味があります。そして、その思想を支えているのが30万本規模の冷蔵貯蔵設備なのです。

「変わらないために、変わる」

吉乃川が掲げるこの言葉は、単なるキャッチコピーではないのかもしれません。470年以上続いてきた「毎日の酒」という役割を守るために、商品名を変え、デザインを変え、酒質を見直し、そして酒を届ける仕組みまで変える。これからの酒蔵に求められるのは、何を造るかだけではなく、どのような状態で消費者の手元まで届けるかという発想なのではないでしょうか。

吉乃川の今回の挑戦は、老舗酒蔵のリブランディングというだけではありません。日本酒を「造る産業」から「品質を守りながら届ける産業」へと進化させる、その先駆けになる可能性があります。

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IWC 2026の最高賞に「天美 純米吟醸 蛍天」

世界的なワイン品評会「インターナショナル・ワイン・チャレンジ(IWC)」2026年のSAKE部門で、山口県・長州酒造の「天美 純米吟醸 蛍天」が最高賞となる「Champion Sake」に選ばれました。2026年はIWCの日本酒部門が始まって20周年という節目の年です。さらに今年は、海外の酒蔵を含む457社、1,738銘柄が出品され、過去最多を更新しました。

「蛍天」は、山口県産の酒米のみを使用し、初夏に舞う蛍をイメージした酒です。爽やかな酸味と豊かな味わいが評価され、純米吟醸部門のトロフィーを獲得。そのうえで、各カテゴリーのトロフィー受賞酒の中から頂点に選ばれました。

20年で「日本酒の評価軸」は変わった

IWCのSAKE部門が始まった2007年、出品数は228銘柄でした。それが今年は1,738銘柄です。単純比較すれば、約20年間で出品規模は7倍以上になっています。2025年にも1,476銘柄が出品されており、日本酒への世界的な関心が着実に広がっていることが分かります。

しかも、評価の対象は高級な大吟醸だけではありません。今年のトロフィーを見ると、普通酒、本醸造、純米酒、吟醸、大吟醸、古酒、熟成酒、スパークリングまで幅広いカテゴリーから選ばれています。

つまりIWCは、日本酒を「高精白で華やかな酒」という一つのイメージだけで評価しているわけではありません。日本酒にはさまざまなスタイルがあり、それぞれの個性に価値があるという見方が、世界の評価の中にも定着してきたといえるでしょう。

今年の特徴は「広がり」

2026年に特に注目したいのが、新たに「フレーバー・サケ」部門が設けられたことです。日本酒をベースに果汁や果実、茶などを加えた酒も評価対象になりました。

これは、日本酒の「純粋性」が失われたという話ではありません。むしろ、日本酒を核として、飲み方や楽しみ方をどこまで広げられるのかという、新しい可能性への挑戦です。

一方、最高賞に選ばれた「蛍天」は、山口県産の酒米を使い、土地の情景を感じさせる酒です。世界へ開かれていく一方で、地域性も強くなっている。この二つが同時に存在していることが、今年のIWCを象徴しているように思います。

「世界基準」は日本酒を均質化するのか

海外のコンテストで評価されるようになると、「世界で評価される味」に日本酒が合わせられていくのではないか、という懸念もあります。しかし、今年の結果を見る限り、必ずしもそうとは言えません。

IWC 2026では、長野県の「渓流 吟醸」がGreat Value Champion Sakeに選ばれ、宮城県の新澤醸造店はSake Brewer of the Yearに選出されています。また、茨城、長野、栃木、山口がSake Prefecture of the Yearの候補となっています。地域も酒質も一つではありません。

世界市場に進出するということは、世界に合わせることだけではなく、「自分たちは何者なのか」を世界の評価軸の中で示すことなのかもしれません。

20周年のIWCが日本酒に問いかけるもの

IWCの日本酒部門が始まった2007年、日本酒の海外市場は今ほど大きな注目を集めていませんでした。それから20年。出品数は大幅に増え、海外からの出品も現れ、審査カテゴリーも広がりました。そして今年、最高賞を獲得したのは「天美 純米吟醸 蛍天」でした。

この結果が意味するのは、単に「山口の酒が世界一になった」ということではありません。日本酒は今、「日本国内でどう評価されるか」だけではなく、「世界の人にどのような酒として伝わるのか」を問われる段階に入っています。そのとき重要になるのは、世界に迎合することではなく、日本酒が持っている地域性、季節感、造り手の思想、そして飲む人の体験を、世界に伝わる言葉へ翻訳していくことではないでしょうか。

20周年を迎えたIWCは、日本酒の「世界進出」の到達点ではありません。むしろ、日本酒が世界の酒として次の20年へ踏み出す、その出発点に立っているのだと思います。

▶ IWC2026 SAKE部門審査結果発表 ~ 世界に選ばれる日本酒はどう変わったのか

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日本酒は「選んで飲む」時代へ ~ 川越「酔処よいしょ」が変える飲酒スタイル

9月6日、埼玉県川越市の蔵造りの町並みに、日本酒の立ち飲み専門店「酔処よいしょ」がオープンしました。全国各地の日本酒を常時50種類以上そろえ、客自身が冷蔵庫から好きな一本を手に取り、一杯から楽しめる店です。営業時間も11時から18時までと、夜の「飲み屋」とは少し違います。観光の途中に、気になる酒を一杯だけ飲んでいく。そんな利用を想定しています。

面白いのは、注文方法です。普通の飲食店なら、メニューを見て店員に注文します。しかし「酔処よいしょ」では、冷蔵庫に並んだ酒を自分で手に取ります。ラベルを眺め、「何となく気になる」という感覚で選ぶことができます。いわば、日本酒の「ジャケ買い」です。もちろん、分からなければ唎酒師の店主に相談できます。つまり、「自分で選ぶ自由」と「専門家に聞く安心」の両方を用意しているのです。ここに、日本酒の飲み方に対する一つの変化が見えます。

日本酒は、銘柄、酒米、精米歩合、日本酒度、酸度など、知識がなければ選びにくい酒になりがちです。しかし、最初から詳しくなる必要はありません。「何となく気になる」から入ってもいい。これは、若い世代や訪日客に日本酒を広げるうえで、非常に重要な考え方ではないでしょうか。

こうした「日本酒を選んで飲む場所」として、すでに存在感を持っているのが「名酒センター」です。名酒センターも全国の日本酒を集め、100種類以上の酒から選んで飲み比べることができます。酒蔵を知り、日本酒を学び、複数の酒を比較しながら自分の好みを発見するという意味では、まさに「日本酒のアンテナショップ」です。現在も酒蔵を招いたイベントなどを積極的に開催しています。

ただし、両者には少し違いがあります。名酒センターが「日本酒を知る」「飲み比べる」という体験を重視しているのに対して、「酔処よいしょ」は、もっと日常的です。一杯だけ飲む。それでいいのです。川越を歩いていて、「ちょっと飲みたい」と思ったときに立ち寄る。50種類の中から一本を選び、飲んで、また街へ出ていく。日本酒を目的に店へ行くというより、街を歩く生活の中に日本酒を差し込む発想です。これは、これからの飲酒スタイルを考えるうえで重要です。

かつて酒を飲むというと、「店に入って、料理を頼み、何時間かかけて飲む」というスタイルが一般的でした。しかし現在は、食事と酒を必ずしもセットにしない人も増えています。「一杯だけ」という飲み方も、もっと一般的になっていくでしょう。

特に「酔処よいしょ」は昼間から営業しています。酒を飲むために夜を待つ必要がありません。観光、買い物、散歩の途中に日本酒を一杯。これは、従来の「酒場」という概念から少し外れた飲酒スタイルです。しかも、日本酒だけでなく、地ビールやソフトドリンクも用意されています。お酒を飲む人だけの場所にしないという設計も、これからの飲酒空間を考えるうえで興味深いところです。日本酒業界にとって、この発想は大きな意味を持つと思います。

日本酒の消費を増やそうとすると、どうしても「もっと飲んでもらう」という方向に考えがちです。しかし、本当に必要なのは、飲酒量を増やすことではありません。日本酒と出会う機会を増やすことです。一杯飲んで、「この酒は面白い」と感じる。次に別の酒を飲む。その酒の産地を知る。酒蔵を知る。そして、旅行先でその土地の酒を飲んでみる。「酔処よいしょ」がつくろうとしているのは、こうした小さな入口なのではないでしょうか。

名酒センターが日本酒を「探究する場所」だとすれば、「酔処よいしょ」は日本酒に「偶然出会う場所」と言えるかもしれません。これからの日本酒に必要なのは、酒を難しく説明することだけではなく、「ちょっと飲んでみよう」と思える環境を増やすことです。

一杯から始まる日本酒——その一杯が、酒蔵や土地への興味につながっていくなら、飲酒スタイルそのものが日本酒の未来を変えていく可能性があります。「酔処よいしょ」の新しさは、50種類以上の酒をそろえたことではありません。日本酒を「特別な日に飲むもの」から、「街を歩く途中に一杯だけ出会えるもの」へ変えようとしていること。そこに、これからの日本酒の飲まれ方を考えるヒントがあるように思います。

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「酒蔵を残す」とは何を残すことなのか ~ 魚津酒造の事業停止から考える日本酒の存続問題

日本酒「北洋」で知られる富山県魚津市の魚津酒造が、8月31日付で事業を停止したことが報じられました。魚津酒造は1925年創業で、100年にわたって地域の酒造りを担ってきた酒蔵です。今回の事業停止には、4月に社長が急逝したことに加え、原材料価格の高騰などが重なり、事業の継続が困難になったことが背景にあるとされています。一方で、今後の事業再開を模索する可能性も残されています。

魚津酒造の歩みを見ると、酒蔵の存続問題が決して「酒が売れない」という一言だけでは説明できないことが分かります。魚津酒造の前身である本江酒造は1925年に創業し、「北洋」の名は、当時の魚津が北洋漁業の船団基地として栄えていたことに由来するとされています。つまり「北洋」は単なる商品名ではなく、魚津という地域の歴史と結びついたブランドでもありました。

さらに同社は近年、純米蔵への転換や低アルコール酒の開発など、新しい市場への対応にも取り組んでいました。2024年には、魚津産の米と富山県産のリンゴ酵母を使ったアルコール度数8%の「北洋 8」も発売しています。伝統を守るだけではなく、新しい飲み方を模索していたことが分かります。それでも、酒蔵を維持することは容易ではありません。

日本酒は、原料を仕入れて製造し、完成した商品を販売すれば終わる工業製品とは少し違います。水、米、設備、人材、杜氏や蔵人の技術、地域の販売網、そして長年かけて築いてきた信用——こうしたものが組み合わさって初めて、一つの銘柄が成立します。そのため、経営者の突然の不在は、単に「社長が一人いなくなる」という問題ではありません。経営判断、資金繰り、取引先との関係、将来の設備投資など、酒蔵を動かしていた多くの機能に影響します。そこへ米や資材、エネルギーなどのコスト上昇が重なれば、長年続いてきた酒蔵であっても事業を維持できなくなる可能性があります。

ここで考えたいのが、「酒蔵を残す」とは何を意味するのか、ということです。建物を残すことだけではありません。会社を存続させることだけでもありません。その土地で、その土地の人々と関係を築きながら、日本酒を造る仕組みを次の世代につなげることこそ、本当の意味で「酒蔵を残す」ことではないでしょうか。

だからこそ、酒蔵の事業承継を考える際には、単純に後継者を探すだけでは十分ではありません。地域企業との連携、他の酒蔵との協業、外部人材の登用、設備の共同利用、販売方法の改革など、従来の「一つの酒蔵がすべてを抱える」という形から変えていく必要があります。

今回の魚津酒造についても、報道では事業再開を模索する可能性が残されているとされています。これは、酒蔵の存続問題を考えるうえで重要な点です。事業停止という言葉だけを見ると「終わった」と感じてしまいます。しかし、酒蔵の価値は法人格だけに存在するわけではありません。「北洋」という銘柄、そこに蓄積された技術、地域との関係、そして飲み手が持つ記憶があります。

日本酒業界に求められているのは、酒蔵が倒れてから救済する仕組みだけではないでしょう。経営が苦しくなる前から、その酒蔵が地域にとってどれほど重要な存在なのかを見つめ、必要であれば地域全体で支える仕組みをつくることです。

酒蔵が一つ消えるということは、単に日本酒の銘柄が一つ減るということではありません。その土地で100年かけて積み重ねられてきた技術や記憶、人のつながりが失われる可能性があります。魚津酒造のニュースは、そうした現実を改めて私たちに突きつけています。

そして同時に、「日本酒を飲む」という行為そのものにも、少し違った意味を与えてくれます。一本の酒を選ぶことは、その酒蔵の未来を直接決めることではありません。しかし、飲み手がその酒の背景を知り、地域や造り手に関心を持つことは、酒蔵が次の100年を考えるための小さな支えになります。

酒蔵を残すのは、酒蔵だけではありません。造り手、地域、販売店、飲食店、そして飲み手。そのすべてが関わって初めて、酒蔵の未来はつくられていくのではないでしょうか。

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「日本酒はAI時代に強い産業」酒蔵の次の100年

9月3日、「ICC SAKE AWARD」の第7回大会で、長野県諏訪市の「真澄」を醸す宮坂醸造が優勝しました。今回の大会には日本酒だけでなく、クラフトサケ、シードル、ビール、ジンなど、さまざまな酒類が参加。約70人の審査員が「ベスト・インプレッション」を基準に評価する、いわば酒類の異種格闘技戦です。今回、初めて日本酒蔵が頂点に立ったことも注目されます。

そして、この「SAKE AWARD」でスポンサーを務める人物が、投資家の千葉功太郎氏です。千葉氏はコロプラ創業メンバーで、現在はスタートアップ投資などを手掛ける人物ですが、今年9月には長野県佐久市の芙蓉酒造の全株式を取得し、代表取締役会長に就任しました。しかも単なるオーナーではありません。「蔵主」という新しい役割を掲げ、六代目蔵元の依田昂憲氏とともに「共同六代目」を名乗ります。

なぜ、ITや投資の世界にいた人物が、いま酒蔵なのでしょうか。その答えとして千葉氏が語っているのが、「AI時代だからこそ酒蔵には強みがある」という考え方です。

AIによって、画面の中で完結する仕事は急速に効率化されていきます。ところが、米を育て、酒を仕込み、発酵させ、熟成させるという営みは、どれだけ技術が進歩しても、現実の土地と時間から逃れることができません。千葉氏は、食べること、飲むこと、そして「おいしい」という感覚は、人間が存在する限り残り続けるものだと見ています。ここには、日本酒を「古い産業」ではなく、むしろ未来に残るフィジカルな産業として捉える発想があります。

さらに興味深いのが、海外市場に対する視点です。日本食への関心が世界で高まるなか、日本酒も単なるアルコール飲料ではなく、その土地の水、米、歴史、造り手といった物語を含めた「日本の食文化」として評価される可能性があります。実際、千葉氏は日本酒だけでなく農業や鮨にも関わりながら、日本の食そのものを海外へ届けることに可能性を感じています。

だからこそ、千葉氏にとって酒蔵への投資は、短期間で利益を回収する通常の投資とは意味が違います。「投資家が酒蔵を買う」と聞けば、数年後の売却を想像する人もいるでしょう。しかし千葉氏は、芙蓉酒造について50年、100年単位の時間軸を描いています。依田氏が酒造りと歴史を守り、千葉氏が資本、経営、販路、外部とのネットワークを担う。「つくる人だけに、未来まで背負わせない」という考え方です。

そして、ここでSAKE AWARDと芙蓉酒造が一本につながります。千葉氏がSAKE AWARDの審査員として酒造りの世界に触れたのは今年3月でした。そこでトップクラスの造り手たちの情熱に触れ、酒業界にはスタートアップとは異なる「100年単位の熱量」があることに強く惹かれたといいます。その経験をきっかけにSAKE AWARDの個人スポンサーとなり、さらに芙蓉酒造の承継へと進んでいきました。

つまり千葉氏がやろうとしているのは、日本酒をIT企業のように変えてしまうことではありません。酒蔵が持っている価値を、現代の経営やテクノロジーによって外へ広げることなのではないでしょうか。その象徴が、芙蓉酒造を「古さを残したまま、日本で一番AI化された酒蔵」にするという構想です。酒造りそのものをAIに置き換えるのではなく、現場の記録や経験をデータとして蓄積し、造り手の能力をさらに引き出す。伝統とAIを対立させるのではなく、伝統を未来へ運ぶためにAIを使う発想です。

今回のSAKE AWARDで真澄が示したのも、日本酒が閉じた世界だけで評価される存在ではないという可能性でした。そして千葉氏が芙蓉酒造で試みようとしているのは、その可能性を「一本の受賞酒」で終わらせず、経営、テクノロジー、海外市場、地域、そして100年という時間軸まで含めて、日本酒の価値を再設計することなのかもしれません。

日本酒業界にいま必要なのは、酒を造る人だけではありません。造り手が持つ才能を発見し、それを世界につなぎ、次の世代まで残す人も必要です。千葉氏の「蔵主」という挑戦は、ひょっとすると一つの酒蔵の事業承継にとどまらず、これからの日本酒業界における「酒蔵の経営者とは誰なのか」という問いそのものを変えていく可能性があります。

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