和歌山県の九重雜賀と味香り戦略研究所が、「マグロのすしに合う日本酒」2種類を共同開発し、10月8日に発表することが明らかになりました。「雜賀孫市 純米大吟醸 生酛造り」と「雜賀 純米 生酛造り」です。
今回の特徴は、単に「マグロと相性が良い酒」を経験則で探したことではありません。味香り戦略研究所が味覚データを用いてマグロのすしとの相性を分析し、さらに官能評価によって、どのような味わいなら相性が成立するのかを整理。その結果を九重雜賀が醸造技術によって酒に仕上げました。つまり、出発点が「こんな酒を造りたい」ではなく、「マグロのすしをもっとおいしくするには、どんな酒が必要なのか」なのです。これは日本酒の商品開発にとって、意外に大きな発想転換ではないでしょうか。
もちろん、「料理に合わせて日本酒を考える」という発想自体が新しいわけではありません。たとえば石川県の数馬酒造では、能登牛、イカ、牡蠣、ジビエなど、地域食材に特化した「竹葉の食材特化シリーズ」を展開してきました。「竹葉 とり純米」も鶏料理との相性を考え、肉の旨味や皮の脂を受け止めるために甘みと酸味を引き出して醸した商品です。
また、長野県では「ご当地グルメに合う信州の地酒品評会」が開催されています。2026年にも第3回が行われ、県内の日本酒と地域の食との組み合わせを評価する場となっています。
愛媛でも、県産米や水に加えて、県オリジナル品種「さくらひめ」から分離した酒造用花酵母を使い、食材や料理とのペアリングを重視した「えひめ香る地酒プロジェクト」が進められています。現在23蔵が参加する取り組みとなっています。
さらに、北信地域では酒の味を科学的に分析して可視化し、「この酒ならこの料理」というペアリング情報を販促コンテンツにする取り組みも行われています。
こうして見ると、料理と日本酒の関係は、すでに「相性の良い組み合わせを紹介する」段階から、「料理を意識して酒を設計する」段階へ少しずつ進んでいることが分かります。
今回の九重雜賀の取り組みが興味深いのは、そこに「地域」という視点も重なっていることです。
九重雜賀は1908年に赤酢の製造元として創業し、1934年から日本酒造りを始めました。赤酢と日本酒を同じ蔵で造るという特徴を持ち、「おすしに合う日本酒」を酒造りのテーマの一つとしてきました。今回はそこへ、和歌山のマグロやすし文化、そして味覚データという要素が加わりました。これは「和歌山で造った酒だから和歌山の料理に合う」という単純な話ではありません。地域の食文化を起点にして、その土地ならではの日本酒の価値を再設計するという考え方です。
日本酒はこれまで、米、水、酵母、杜氏、製法など、「酒そのもの」の個性を語ることが多くありました。しかしこれからは、「何を食べる場所で飲まれるのか」「どんな料理を引き立てるのか」まで含めて商品になるのかもしれません。
今回の開発では、日本酒とマグロのすしだけでなく、ワインとマグロのすしも比較されています。その結果、日本酒ではマグロのうま味を伸ばす方向、ワインではコクや厚み、余韻を楽しむ方向が見いだされ、その特徴を日本酒の中に表現し直しています。ここに、今後の日本酒の可能性があるように思います。
「辛口だから刺身」「甘口だからデザート」というような従来型の説明だけではなく、「この料理の、この味をどう変化させるのか」というところまで踏み込むことです。そうなれば、酒蔵は単に日本酒を製造する場所ではなく、地域の料理人、漁業者、農家、飲食店、さらにはデータや科学の専門家と一緒に「食体験」を設計する場所になっていきます。
日本酒の未来は、酒瓶の中だけにあるのではないのかもしれません。目の前にある一皿を、もう一口おいしくする。その一口のために酒を造る。今回の「マグロのすしに合う日本酒」は、そんな料理から逆算する酒造りが、これからの日本酒の商品開発における一つの方向になり得ることを示しているのではないでしょうか。
