茨城県筑西市の来福酒造が、創業310年を迎えました。1716年、享保元年に創業した同蔵では、9月12日に蔵開きが開催され、酒蔵の一般開放や全商品の試飲、鏡開き、酒粕詰め放題などを通じて、310年の歴史を多くの人に伝えました。
310年という数字だけでも驚きますが、日本酒業界を見渡すと、さらに長い歴史を持つ酒蔵があります。茨城県笠間市の須藤本家です。同蔵は1141年、永治元年に酒造りを行っていた記録が残り、現在は55代目が蔵を継いでいます。一般に「日本最古の酒蔵」として知られる存在です。
来福酒造が310年。そして須藤本家は約900年です。これほど長い時間を、日本酒の酒蔵はどのように生き抜いてきたのでしょうか。
酒蔵は「地域」とともに続いてきた
日本酒の長寿企業を考えるとき、一つの大きな特徴があります。それは、酒蔵が単なる製造業ではなく、地域と深く結びついた存在だったことです。酒造りには米と水が必要です。そして、その米を作る人がいて、酒を売る人がいて、飲む人がいる。酒蔵は一つの商品を作っているだけではなく、地域の農業や商業、食文化とつながっています。
来福酒造も、地元を中心とした酒米の契約栽培に取り組み、自社で精米し、酵母の培養も行っています。さらに海外へも販路を広げています。つまり、長く続いた酒蔵には「昔から酒を造っている」というだけではなく、その土地で酒を造る意味を持ち続けてきたという共通点があります。
長寿とは「変わらないこと」ではない
須藤本家にも興味深い考え方があります。代々伝えられてきた家訓は、「酒・米・土・水・木」。良い酒を造るためには、その酒を取り巻く環境そのものを守らなければならないという考え方です。敷地内の木を切らないという教えも受け継がれています。
一方で、長寿企業だからといって、すべてを昔のままにしているわけではありません。来福酒造は、伝統的な技術を受け継ぎながら、花酵母を使った酒造りや、ワイン製造への挑戦、海外展開などにも取り組んできました。2006年には、それまでの杜氏による酒造りから社員による製造へと移行しています。ここに、日本酒の長寿企業が生き残ってきた理由があるように思います。
守るものは守る。しかし、方法まで守る必要はない。時代が変われば、人も、消費者も、流通も変わります。それでも「何を大切にするのか」という部分を失わなければ、方法を変えることは伝統を壊すことではありません。
次の100年に必要なのは「続ける理由」
これから日本酒の酒蔵が存続していくためには、単に古い歴史を誇るだけでは足りないでしょう。
「なぜ、この土地で酒を造るのか」
「なぜ、この酒を飲んでもらいたいのか」
「次の世代に何を残したいのか」
こうした問いに答えられることが重要です。
歴史は、それだけでは商品にはなりません。しかし、長い歴史の中で積み重ねてきた信用は、他の商品には簡単に真似できない価値になります。だからこそ、酒蔵が守るべきなのは「昔の形」ではなく、これまで積み重ねてきた信用と、酒を造る意味なのではないでしょうか。
来福酒造の310年と、須藤本家の約900年。二つの酒蔵が教えてくれるのは、長く続く企業とは「変わらない企業」ではないということです。時代が変わるたびに、自分たちが何者なのかを問い直し、それでも残すべきものを次の世代へ渡してきた企業なのです。
日本酒の酒蔵にとって、これからの100年は決して過去の延長線上にあるわけではありません。飲み方も、消費者も、酒造りを支える環境も変わっていきます。それでも、その変化の中で「この酒蔵がある意味」を失わなければ、酒蔵はまた次の時代へ進むことができるでしょう。310年という歴史は、終着点ではありません。次の100年を始めるための、現在地なのです。
