世界に一本だけの贈り物──今代司酒造が描く「ボトルの未来」

新潟の老舗酒蔵・今代司酒造が、2025年9月6日と13日に開催した敬老の日イベントは、単なるギフトづくりの枠を超えた、文化的な提案でもありました。参加者は酒蔵敷地内の特設スペースで、ライスワックス製の安全なクレヨン「kitpas」を使い、ボトルに直接絵やメッセージを描くことができるというもの。中身は純米大吟醸酒「今代司」または麹発酵甘酒から選べ、完成したボトルはそのまま持ち帰ることができます。

このイベントの本質は、「消費される容器」というボトルの概念を揺さぶる点にあります。日本酒のボトルは、飲み終えたら捨てるものという認識が一般的ですが、今代司酒造はそこに新たな価値を見出そうとしています。絵を描くことで、ボトルは単なる容器から「記憶を宿すオブジェ」へと変化します。贈る側の想い、受け取る側の感動──その両方が瓶に刻まれることで、酒の余韻は飲み終えた後も続いていくのです。

今代司酒造が醸す「錦鯉」は、まさにその思想を体現した酒といえるでしょう。錦鯉をモチーフにした華やかなボトルデザインは、iF DESIGN AWARD 2016をはじめ、世界中のデザイン賞を多数受賞しています。その美しさは、飲む前から視覚的な喜びを与え、飲み終えた後も飾って楽しめる芸術品としての価値を持ちます。こうした「鑑賞できる酒器」という発想は、日本酒文化に新たな地平を開くものです。

ボトルの再活用は、環境負荷の軽減にもつながります。ガラス瓶はリサイクル可能な素材ですが、再利用にはエネルギーがかかるため、捨てずに使い続けることが最も持続可能な選択肢です。絵付けされたボトルは、花瓶やインテリアとして再利用される可能性も高く、ギフトとしての寿命を延ばすことができます。

また、こうした取り組みは、地域文化の継承にも寄与します。新潟は錦鯉の発祥地であり、日本酒の名産地でもあります。その両者を融合させた「錦鯉」は、土地のアイデンティティを象徴する存在です。ボトルに絵を描くという行為は、贈る人の想いとともに、地域の物語を伝える手段にもなり得るのです。

今代司酒造の敬老の日イベントは、単なる販促ではなく、「酒器の未来」を問い直す文化的な挑戦でした。これからの日本酒は、味や香りだけでなく、器のあり方にもこだわる時代へと進んでいくのかもしれません。ボトルを捨てるのではなく、残す。その発想の転換が、酒文化の新たな需要を掘り起こす鍵となるでしょう。

▶ 錦鯉|世界的デザイン賞に輝いた今代司酒造の看板酒。プレゼントに最適

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「中乗さん 純米吟醸酒」がベストカップル賞受賞──信州の地酒とご当地グルメが紡ぐ新たな物語

2025年9月6日、長野県松本市で開催された「第2回 長野県のご当地グルメに合う信州の地酒品評会」において、木曽の老舗酒造・中善酒造店が醸す「中乗さん 純米吟醸酒」が、栄えある第1位「ベストカップル賞」に選ばれました。今回の品評会は、信州プレミアム牛と地酒のペアリングを一般参加者がブラインド形式で評価するというユニークな試みで、150名の審査員による投票の結果、「中乗さん」が最も多くの支持を集めました。

「中乗さん 純米吟醸酒」は、穏やかな香りと柔らかな口当たり、そして後味に広がる米の旨みが特徴です。信州プレミアム牛の繊細な脂の甘みとしっとりとした肉質に対して、この酒は過度に主張せず、料理の風味を引き立てる“縁の下の力持ち”的な存在として高く評価されました。特に、山椒や味噌ベースのソースとの相性が抜群で、酒の酸味と旨みが味覚のバランスを整え、余韻に深みを与えていたといいます。

今回の品評会では、専門家ではなく一般参加者による評価が重視されました。これは、生活者目線のリアルな「おいしさ」を反映するものであり、地酒が日常の食卓でどのように受け入れられるかを探る重要な機会となりました。人々の味覚や嗜好は、地域性や食文化、記憶といった多様な要素に影響されるため、一般参加型の評価には、地酒の新たな可能性を拓く力があります。

また、こうした参加型の取り組みは、消費者が地酒文化の担い手として関与する「共創」の場でもあります。自らの体験を通じて「この酒はこの料理に合う」と実感することで、地酒への愛着や関心が高まり、地域ブランドの育成にもつながります。今回の受賞は、単なる味の評価を超えて、信州の自然、文化、そして人々の営みが織りなす物語の一端を示すものといえるでしょう。

長野県の地酒は、今後ますます「食中酒」としての価値を高めていくと予想されます。華やかな香りや高精白のスペック競争ではなく、料理との相性や飲み疲れしない設計が重視される傾向が強まっており、地元食材とのペアリングを通じて、地酒が“食の体験”の一部として位置づけられる流れは加速しています。

若手蔵元による企画・運営という点も、長野酒の未来を語るうえで見逃せません。伝統を守りながらも、柔軟な発想で新しい価値を創造する姿勢は、地酒文化の持続可能性を高める鍵となるでしょう。

「中乗さん 純米吟醸酒」の受賞は、信州の地酒が食とともにあることでその魅力を最大限に発揮することを改めて示しました。今後も、こうした品評会を通じて、長野酒がより多くの人々に愛され、地域の誇りとして育まれていくことを期待したいと思います。

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日本酒業界に広がる女性活躍の新潮流~新澤醸造店が「えるぼし認定」取得 

世界酒蔵ランキングで、2022年以降1位に君臨し続ける新澤醸造店。この度、「International Wine Challenge(インターナショナル・ワイン・チャレンジ)2025」のSAKE部門で、「Sake Brewer of the year」を4年連続受賞という快挙を成し遂げましたが、2025年8月19日付で厚生労働省が定める「えるぼし認定」を取得した酒造でもあります。

「えるぼし認定」とは、女性の活躍推進に積極的な企業に与えられる制度で、採用、継続就業、労働時間管理、管理職比率、多様なキャリア形成の5項目に基づき評価されます。酒造業界では取得例がまだ少なく、このニュースは業界関係者の間で注目を集めています。

新澤醸造店は、看板銘柄「伯楽星」などで知られ、挑戦的な商品開発や高品質な酒造りで全国的な評価を受けてきました。近年は杜氏や蔵人に女性の採用を積極的に進め、職場環境の改善や働き方の柔軟性を整えてきました。今回の「えるぼし認定」は、その取り組みが公的に評価された形といえます。

▶ 新澤醸造店とは

女人禁制の歴史を越えて、多様性を重視する蔵の挑戦

そもそも、酒造りと女性の関わりは古代に遡ります。太古の日本では、酒は神事や祭祀に不可欠な存在であり、米を噛んで唾液の酵素で糖化させる「口噛み酒」のように、女性が中心となって造られていました。

しかし、中世から近世にかけて酒造りが大規模化し、職業としての杜氏制度が確立されると状況は変化しました。蔵の内部が「女人禁制」とされたのは、酒造りにおける神聖性を守るという宗教的理由に加え、当時の性別役割観や労働環境の厳しさが影響しています。酒造りは冬の寒さの中での重労働であり、力仕事を前提とした職場に女性が入りづらかったという背景もありました。その結果、酒蔵は長らく男性中心の世界として続いてきたのです。

しかし現代においては、酒造りの工程に科学的な管理が導入され、重労働の負担も緩和されつつあります。さらに、多様な価値観や働き方を取り入れる必要性が高まり、女性杜氏や女性蔵人の活躍が全国的に広がり始めました。新澤醸造店のように制度面・文化面の両方から環境を整え、女性が安心して働ける体制を築くことは、業界全体の未来を支える大きな一歩といえるでしょう。

酒造業界は人口減少や消費者嗜好の変化に直面しており、人材確保と新しい発想の導入が欠かせません。その中で、女性の感性や生活者目線が酒の企画や販路開拓に大きく貢献する可能性があります。今回の「えるぼし認定」は、単なる人事制度の評価にとどまらず、酒造業の歴史的な流れを見直し、かつて女性が担っていた役割を現代的に再解釈する象徴的な出来事といえるのです。

今後、新澤醸造店の取り組みが業界内に広がり、酒蔵が男女を問わず多様な人材が活躍できる場となることで、日本酒の新たな魅力が生み出されることが期待されます。酒造りの原点に立ち返りつつ、次世代にふさわしい形へと進化していく――その転換点に、「えるぼし認定」は重要な意味を持つのではないでしょうか。

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全米日本酒鑑評会2025で臥龍梅が躍進 吟醸・純米B部門グランプリ、大吟醸A部門準グランプリの快挙

日本時間2025年9月10日に発表された「第25回全米日本酒鑑評会(U.S. National Sake Appraisal)」において、静岡県の銘酒「臥龍梅(がりゅうばい)」が大きな注目を集めました。同蔵は今年、吟醸部門と純米B部門でグランプリを獲得し、さらに大吟醸A部門で準グランプリを受賞するという快挙を成し遂げました。複数部門での上位入賞はまれであり、臥龍梅の酒質が幅広いカテゴリーで高い評価を受けたことを示しています。

▶ 2025年度全米日本酒歓評会 概要

2025年全米日本酒鑑評会の成果と意義

全米日本酒鑑評会は、ハワイで開催される北米最大規模の日本酒コンテストであり、出品点数は例年400銘柄前後にのぼります。2025年度は、2月27日から4月21日までの出品受付を経て、5月16日が出品酒の送付期限、9月3日から5日(日本時間4日から6日)に審査が行われました。9月9日(日本時間10日)に結果が発表され、臥龍梅が各部門での快挙を果たしました。

吟醸部門のグランプリは、華やかな香りと爽やかな後味のバランスが高く評価された結果です。純米B部門のグランプリは、米の旨味を引き出しながら料理と寄り添う設計が評価され、そして大吟醸A部門の準グランプリは、精緻な香味表現と完成度が認められた成果でした。部門ごとに評価基準が異なるにもかかわらず、複数部門で同時に高評価を得られたことは、単なる商品力を超え、酒造全体の方向性や醸造哲学が国際的に認められた証といえるでしょう。

三和酒造は、地元に根ざしつつも「臥龍梅」を通じて全国、さらに海外市場を視野に入れた酒造りを進めてきました。仕込みごとの細やかな管理や、酒米の特徴を活かす醸造設計、そして幅広いスタイルの酒を生み出す柔軟な発想は、蔵全体での継続的な努力に支えられています。今回の受賞は、そうした蔵としての総合力が、国際的な審査の場で確かな成果として表れたといえるのです。

この複数受賞は、静岡酒全体にも波及効果をもたらします。新潟や兵庫といった大産地と比べると規模は小さいものの、蔵単位での挑戦と工夫が積み重なれば、国際市場で確実に存在感を高められることを証明しました。特定の銘柄や単一の商品だけではなく、蔵全体の取り組みが評価されたことにこそ大きな意味があり、これは日本酒業界にとっても重要なメッセージとなります。

全米日本酒鑑評会の受賞は、販路拡大やブランド認知に直結しますが、三和酒造の今回の成果は単なる営業的効果にとどまりません。「ひとつの蔵がどのカテゴリーでも高品質を実現できる」ことを示した臥龍梅の受賞は、日本酒が世界にどう評価され、どう広がっていくかを考える上での新しいモデルケースともいえるでしょう。

総じて、臥龍梅の健闘は「蔵としての挑戦と総合力」が結実したものです。複数部門での受賞は、蔵の一貫した理念と努力が世界に通用することを証明しました。この快挙は、日本酒の未来に向け、酒造全体としての取り組みの重要性を改めて浮き彫りにしたのです。

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IWC2025チャンピオンサケ「七賢 白心 純米大吟醸」―地域と世界をつなぐ白州の一杯

世界最大級のワイン・コンペティション「インターナショナル・ワイン・チャレンジ(IWC)」において、2025年の「チャンピオンサケ」に山梨銘醸の『七賢 白心 純米大吟醸』が選ばれました。日本酒部門に出品されたおよそ1,500銘柄の頂点に立ったこの酒は、単なる美酒としての評価にとどまらず、地域社会の結びつきや輸出体制、さらには白州という土地のイメージにも大きな影響を与える出来事となりました。本稿では、その意味を三つの視点から考えてみたいと思います。

▶ 七賢 白心 純米大吟醸とは

地域社会の繋がりの中で生まれた酒

『七賢 白心』は、北杜市の豊かな自然と人々の協働から生まれた酒です。地元契約農家が丹精込めて育てた酒米を精米歩合27%まで磨き上げ、甲斐駒ケ岳の雪解け水で仕込むという贅沢なつくりがなされています。さらに、マイナス5度で1年間熟成させることで、清らかでありながら奥行きのある味わいを実現しました。蔵元の北原社長は「白心は地域の恵みをボトルに詰め込んだ酒」と語っており、農家、蔵人、地域社会の支えがなければ完成し得なかったことを強調しています。この受賞は、単に蔵元の努力だけでなく、地域全体の取り組みが世界に認められた象徴ともいえるでしょう。

和酒専門商社オオタ・アンド・カンパニーの果たした役割

今回の栄誉を国際的な評価へとつなげた立役者のひとつが、和酒専門商社「オオタ・アンド・カンパニー」です。同社は海外市場への橋渡し役として、現地流通の知見や販売チャネルを築き、日本酒の魅力を正しく伝える役割を果たしてきました。特に七賢は、海外ではまだ知名度が限定的であったため、輸出戦略とブランド発信の両面で専門商社の支援は大きな意味を持ちました。IWCでの受賞によって一躍注目を浴びた今、七賢はグローバルな市場でのプレゼンスを確立する大きなチャンスを迎えており、その土台を築いたのはまさにこうした専門商社の存在だったといえます。

ウィスキーで有名な白州の地に与える影響

白州といえば、世界的に名高いサントリーの白州蒸溜所を思い浮かべる人も多いでしょう。豊かな森と清冽な水に育まれたこの地は、長らくウィスキーの名産地として知られてきました。しかし今回、『七賢 白心』がIWCのチャンピオンに輝いたことで、白州は「ウィスキーの聖地」であると同時に「世界一の日本酒を生む土地」としても認知される可能性があります。観光や地域ブランディングの観点からも、日本酒とウィスキーが共に評価されることは地域全体の魅力を高め、国内外からの訪問者増加にもつながるでしょう。今後、白州は「世界に誇る酒文化の発信地」として二重のブランド価値を持つことになりそうです。


IWC2025における『七賢 白心 純米大吟醸』の受賞は、地域社会の協働がもたらした成果であり、和酒専門商社の国際戦略が後押しし、さらに白州という土地の価値を再定義する出来事となりました。一杯の酒がもたらす影響は、地元農業から輸出ビジネス、観光に至るまで幅広く、まさに「酒は地域を映す鏡」であることを示しています。この受賞を機に、日本酒が地域の未来を拓く存在としてさらに進化していくことが期待されます。

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アジア最大級の日本酒コンテスト「Oriental Sake Awards 2025」

アジア最大級の日本酒コンテスト「Oriental Sake Awards 2025(OSA)」において、今年のメダル受賞酒が9月上旬に発表されました。香港を拠点に開催されるこのコンテストは、日本国内のみならず、中国本土、台湾、シンガポールなど、日本酒の主要輸出先を含む幅広い市場に向けた影響力を持つ催しとして注目を集めています。4回目となる今回の審査では、純米酒、吟醸系、スパークリングといった11の部門でチャンピオン・金賞・銀賞・銅賞が選出され、新澤醸造店が4年連続で最優秀酒蔵賞を受賞するなど注目されています。

▶ Oriental Sake Awards 2025 これまでの結果

OSAの特徴と今後の展望

OSAの特徴は、審査員構成にあります。ソムリエやワインジャーナリスト、さらにはアジア圏の飲食業界関係者が参加することで、国内の品評会とは異なる国際的な視点から日本酒が評価されます。これは、日本酒が「国内消費中心の酒」から「世界市場を意識した嗜好品」へと位置付けを変えつつある現状を象徴しています。とりわけ香港は一人当たりの日本酒輸入額が高く、世界に向けた発信拠点として重要な地域であり、この地での受賞は市場開拓に直結する意味を持ちます。

今後の予定として、10月中旬には部門をまたいでの最高賞となる「Sake of the Year」の選出とともに、表彰式が行われる予定です。この最終的な栄誉は、単なる品質評価にとどまらず、受賞銘柄がアジア市場で飛躍的に認知度を高める契機になると期待されています。特に輸出比率が高まりつつある現状では、こうした国際的評価は酒蔵の経営戦略においても欠かせない指標となりつつあります。

国際市場に広がる日本酒の可能性

このコンテストの意義を考えると、第一に「国際市場での嗜好を可視化する場」である点が挙げられます。国内鑑評会では技術的完成度や伝統的な酒質が評価されやすいのに対し、OSAでは「現地の食文化や消費者の感覚に合うか」という観点が重視されます。結果として、果実味の豊かさや軽快な飲み口を持つ銘柄が高評価を得る傾向にあり、これは日本酒が国際的な食卓に溶け込むための方向性を示しているとも言えます。

第二に、「アジア全体での日本酒ブランドの共有価値を高める役割」があります。各国の飲食業界が審査やイベントを通じて情報を共有することで、日本酒の教育的価値や文化的背景が広まり、単なるアルコール飲料以上の意味を持つようになります。特に若い世代や海外の飲食プロフェッショナルにとって、日本酒は新たな挑戦分野であり、OSAはその入り口を提供する存在となっています。

最後に、OSAは日本国内の酒蔵に対しても挑戦の機会を与えています。国際的な評価を得ることは輸出拡大への近道であるだけでなく、蔵元が自らの酒造りを見直し、新たな表現やスタイルに挑む動機付けともなります。若手杜氏が活躍する新興蔵にとっても、国際舞台での受賞は大きな励みとなるでしょう。

 「Sake of the Year」が発表される来月に向け、さらなる注目が集まるOSA。受賞結果は一過性の話題にとどまらず、日本酒がアジアを経由して世界へ広がっていく大きな潮流の一部を示しています。日本酒が国際的にどのように評価され、どのように進化していくのか――その未来を映し出す場として、Oriental Sake Awardsの存在意義は年々高まっているのです。

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石川県のひやおろし、9月5日に一斉発売 —— 伝統を守る意味を考える

毎年秋の訪れを告げる日本酒「ひやおろし」。本来は冬に仕込み、ひと夏を越して熟成させた酒を、秋口に再火入れをせずに出荷する季節限定酒です。各地で発売が年々早まる傾向が見られるなか、石川県では今年も9月5日に県内一斉発売が行われました。この一斉発売にはどのような意味が込められているのでしょうか。

石川県酒造組合の取り組みと視点

近年、ひやおろしは全国的に人気が高まり、夏の終わりから初秋にかけて次々と店頭に並ぶようになっています。需要の高まりを受け、蔵元が早めに出荷する傾向が強まり、8月下旬から販売を開始する地域も少なくありません。その一方で、石川県は酒造組合連合会の取り決めにより、毎年9月5日を「ひやおろしの日」と定め、一斉に発売する仕組みを堅持しています。

この背景には、いくつかの狙いが見て取れます。まず第一に、季節感を共有するという文化的な意義です。日本酒は気候や旬の食材と結びついて楽しむものです。各蔵元がバラバラに出荷すれば、消費者が「ひやおろしの季節が始まった」と実感する瞬間は曖昧になります。しかし、一斉発売とすることで、石川県全体が秋の到来を祝うように同じタイミングで楽しむことができ、季節行事としての鮮やかな印象を残すのです。

第二に、公平性と品質の担保です。ひやおろしは「夏を越すことで角が取れ、まろやかさを増した酒」が本来の姿とされます。発売時期を各蔵に委ねれば、熟成が十分でない段階で出荷される酒も出てくる恐れがあります。統一した日程を設けることで、消費者に「石川のひやおろしは一定の熟成期間を経ている」という安心感を提供することができます。また、県内の大小さまざまな蔵が一斉に注目を集めることで、ブランド力の底上げにもつながります。

第三に、販売促進の観点も見逃せません。県内外の酒販店にとって、9月5日という明確な発売日は販促の好機になります。ポスターや特設コーナーを設け、一斉に売り出すことで話題性を生み出すのです。観光とも連動しやすく、「石川に秋が来た」とアピールできる点も大きな利点です。特に能登半島地震からの復興を目指す今年においては、県全体で一体感を示すイベント性の高い取り組みとしての側面もあるでしょう。

もっとも、全国的に早出しの流れが強まる中で、「9月5日」という日付が消費者ニーズに即しているのかという課題もあります。残暑が厳しい年には、より早い時期に冷酒として楽しみたいという声もある一方で、本来の「秋上がり」の趣を大切にしたいというファンも少なくありません。石川県の一斉発売は、そうした流れに対する一つの「抵抗」であり、「本来のひやおろしの姿」を守る象徴とも言えるでしょう。

石川県のひやおろしは、単なる販売戦略ではなく、文化や品質、そして地域の一体感を映す鏡でもあります。9月5日という日付を毎年守り続けることは、伝統と季節感を尊重する姿勢の表れであり、消費者にとっても「今年もまたこの時期が来た」と感じられる安心のサインとなっています。

ひやおろしの全国的な発売時期が多様化していくなか、石川県の「一斉発売」という取り組みは、改めて酒と季節の関係性を考えさせる存在となっています。秋の訪れを一斉に祝うその姿勢は、これからも石川の日本酒文化の個性として輝き続けるに違いありません。

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秋に咲く、十ロ万の深み──もち米四段仕込みが醸す優美な一杯

福島県南会津の花泉酒造が手がける「十ロ万(とろまん) 純米大吟醸」が、今年も秋の蔵出しを迎えました。ロ万シリーズの中でも特に人気の高いこの一本は、真冬に搾られた酒を夏の間じっくりと熟成させ、秋に満を持して出荷される“秋出し”の逸品です。蔵を囲む山々が色づく頃、十ロ万もまた丸みと奥深さを増し、季節の移ろいとともに味わいのピークを迎えます。

花泉酒造の伝統技法が生む旨みとコク

この酒の魅力は、単なる熟成による味の深みだけではありません。花泉酒造が全銘柄に採用している「もち米四段仕込み」という独自の製法が、十ロ万の味わいに大きく寄与しています。通常、日本酒は三段仕込み(初添え・仲添え・留添え)で造られますが、花泉酒造ではさらに一段、蒸したもち米を加える「四段仕込み」を行っています。この手法は、かつては多くの蔵で採用されていたものの、手間やコストの面から次第に姿を消し、現在では花泉酒造がほぼ唯一の継承者となっています。

もち米を用いることで得られるのは、単なる甘みの増加ではなく、酒全体の旨みとコクのバランスです。もち米特有の粘りと甘みが、酒の骨格に柔らかさを与え、飲み口に優しさをもたらします。十ロ万では、麹米に五百万石、掛米に夢の香、そして四段米にヒメノモチを使用。精米歩合はすべて50%に統一されており、香り高く、透明感のある味わいの中に、もち米由来のふくよかな旨みがしっかりと感じられます。

秋出しの純米大吟醸から見える、日本酒造りの未来

この「もち米四段仕込み」は、単なる伝統の継承にとどまらず、現代の日本酒造りに新たな可能性を示しています。昨今の日本酒市場では、甘みや旨みのある酒が再評価されており、食中酒としての柔軟性や、海外市場での受容性も高まっています。もち米による四段仕込みは、そうしたニーズに応える技術として、今後さらに注目される可能性があります。

また、もち米の使用は地域性とも深く結びついています。南会津産のヒメノモチを用いることで、酒そのものが土地の味を体現する「地酒」としての価値を高めています。地元の米、水、人によって醸されるロ万シリーズは、まさに“ともに生き、ともに醸す”という蔵の理念を体現した存在です。

十ロ万の蔵出しは、秋の味覚とともに楽しむのに最適な一本です。きのこや焼き魚、煮物など、秋の食卓に寄り添うその味わいは、もち米四段仕込みの技術が生み出す優しさと深みの賜物。この伝統技法が、今後どのように進化し、広がっていくのか。十ロ万の一杯を味わいながら、その可能性に思いを馳せてみるのも一興です。

▶ 十ロ万 純米大吟醸|春の受賞酒が満を持して登場。もち米四段仕込み

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気候変動の現実――「純米大吟醸イワティ」秋バージョンが示す未来

岩手県盛岡市の老舗酒蔵「あさ開」が、2025年9月2日に「純米大吟醸イワティ」の秋バージョンを発売しました。この酒は、冬に積もった雪を利用する「雪中貯蔵」という特殊な熟成方法で知られています。雪に覆われた空間は年間を通じて低温・高湿度を保ち、酒をゆっくりと穏やかに熟成させる天然の冷蔵庫として、雪国ならではの知恵と文化を象徴してきました。

しかし今年は、その伝統が思わぬ形で試されました。例年なら半年間眠る雪室が、猛暑により、夏の途中で崩壊してしまったというのです。蔵元は急遽、冷蔵保存に切り替えて熟成を続け、無事に「秋バージョン」として市場に届けることに成功しました。結果として香りは落ち着き、料理との相性も高まったと評価されていますが、この裏には気候変動がもたらす厳しい現実があります。

雪室崩壊は象徴的な出来事

雪室が崩壊したという事実は、単に一つの酒蔵の出来事にとどまりません。気候変動の影響は、日本酒造りのさまざまな場面に現れ始めています。猛暑や少雪は、雪中貯蔵のような特殊な熟成方法を脅かすだけでなく、酒米の生育や水資源の確保、発酵温度の管理にも影響を及ぼしています。かつては安定していた自然条件が変化し続ける中で、酒蔵は新しい時代への適応を迫られているのです。

柔軟な対応が生き残りの条件に

今回、あさ開が雪室崩壊という予期せぬ事態に直面しながらも、即座に冷蔵保存へと切り替え、品質を守ったことは注目すべき対応でした。この柔軟性こそが、これからの酒造における生命線となります。気候変動によるリスクは年々増大しており、その影響を最小限にとどめる努力を怠れば、伝統や味わいを守ることは困難になります。迅速かつ的確な判断ができるかどうかは、もはや一蔵の存続に直結すると言っても過言ではありません。

小ロット生産という選択肢

気候変動に対応する一つの方法として、近年注目されているのが小ロット生産です。大量生産を前提とすると、一度の気候異変や設備トラブルが大きな損失につながります。一方、小ロットであれば柔軟に生産を調整でき、消費者の多様な嗜好にも応えやすくなります。今回の「イワティ」のように、貯蔵方法の変更に即座に対応しながら商品として形にするには、小規模でも確実に品質を保証できる体制が不可欠です。

さらに、小ロット生産は「限定性」という付加価値を生み、消費者の関心を高める効果もあります。気候変動が酒造りの不確実性を増す中で、「その年の自然と向き合いながら造られた特別な一杯」として提供することは、むしろブランド力の強化につながる可能性があります。

自然と共に歩む未来の酒造りへ

 「純米大吟醸イワティ」秋バージョンは、単なる新商品の枠を超え、酒造りの未来を考えさせる一杯となりました。雪室崩壊は自然からの警鐘であり、その対応をどう形にするかは酒蔵の姿勢を映し出します。気候変動の時代において、持続可能な酒造りとは自然と対話し、その変化に柔軟に寄り添いながら、文化を未来に受け渡す営みそのものだと言えるでしょう。

秋の夜長に盃を傾けながら、この酒の背後にある気候変動の現実と蔵人の挑戦に思いを馳せることは、飲み手にとっても豊かな体験となるはずです。

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「灘の生一本」9月5日一斉発売:進化する日本酒の、米と品質へのこだわり

酒米への飽くなき探求:独自開発米と契約栽培の深化

来る9月5日(金)、日本酒ファン待望の「灘の生一本」が一斉発売されます。この伝統ある酒は、近年、酒米を巡る新たな潮流と、品質保証への並々ならぬ情熱を背景に、その進化を加速させています。

今年の「灘の生一本」のリリースで特筆すべきは、各蔵元が独自の取り組みで酒米と向き合っている点です。例えば、特定の酒造では、これまでの常識を覆す「独自開発米」の使用を前面に打ち出しています。これは、既存の酒米品種だけでは表現しきれない、蔵元の目指す酒質を実現するための飽くなき探求心の表れです。また、契約農家との連携を一層強化し、土壌の状態から栽培方法に至るまで、徹底した管理の下で酒米を育てている酒造も少なくありません。これらの動きは、酒米の品質が酒の味に決定的な影響を与えるという、日本酒造りの原点への回帰であり、さらに踏み込んだ進化と言えます。

時代背景とドメーヌ化:ワインに学ぶ品質保証の追求

こうした米へのこだわりは、現代における酒米確保の難しさという時代背景と密接に関係しています。近年の異常気象による収穫量の不安定さや、農業従事者の高齢化・減少は、安定した高品質な酒米の供給を脅かす深刻な問題です。かつては当然のように確保できた酒米が、今や希少価値のあるものとなりつつあります。そのため、各蔵元は、単に市場から米を仕入れるだけでなく、自ら米の生産に深く関与することで、安定した供給と品質の確保を図ろうとしているのです。

そして、この酒米へのこだわりは、日本酒業界全体に広がる「ドメーヌ化」の動きと無関係ではありません。ドメーヌとは、ワインの世界で用いられる言葉で、ブドウの栽培から醸造、瓶詰めまでを一貫して行う生産者のことを指します。この概念を日本酒に当てはめると、酒米の栽培から醸造までを自社または緊密な連携のもとで行うことで、酒質を徹底的に管理し、唯一無二の個性を追求する動きと言えます。これは、日本酒が単なる食中酒としてだけでなく、ワインのようにテロワール(土壌や気候が作物に与える特性)を表現し、明確なアイデンティティを持つ「作品」として世界に発信されていく中で、不可欠な要素となっています。ワインを強く意識したドメーヌ化の動きは、品質保証という観点からも非常に重要です。酒米の生産段階から関わることで、農薬の使用状況、肥料の種類、栽培方法などを全て把握し、トレーサビリティを確保できます。これにより、消費者は安心して「灘の生一本」を味わうことができるだけでなく、酒造側も自信を持って自らの酒を世に送り出すことが可能になります。

酒造と農業の新たな共創関係

こうした一連の動きは、結果として「酒造と農業の距離が近くなっている」ことを明確に示しています。かつては分業体制が当たり前だった酒造りと農業が、今や互いに深く連携し、時には蔵元が自ら農業法人を立ち上げたり、農家と密接なパートナーシップを結んだりするケースも増えています。これは、単に原料を仕入れるという関係を超え、酒米の特性を最大限に引き出し、蔵元の目指す酒質を実現するための、新たな共創関係が築かれつつあることを意味します。

今年の「灘の生一本」は、単なる新酒のリリースに留まらず、日本酒業界が直面する課題と、それに対する革新的な取り組みを体現するものです。独自開発米の使用、酒米確保の難しさへの対応、そしてドメーヌ化による品質保証の徹底。これらすべてが、酒造と農業の距離を縮め、日本酒の新たな可能性を切り開いています。9月5日(金)の発売日には、ぜひ、こうした背景に思いを馳せながら、「灘の生一本」が織りなす奥深い味わいを堪能してみたいと思います。

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▶ 今回の灘の生一本の特徴(灘酒研究会酒質審査委員会ホームページより)

灘酒プロジェクトによる統一ブランド商品「灘の生一本」(純米酒)720ml瓶詰は2011年度から発売を開始し、今年で15年目を迎えます。
今年度は灘五郷酒造組合員(25社)の内、参加7銘柄(沢の鶴・剣菱・白鶴・櫻正宗・浜福鶴・白鹿・大関)の蔵元で9月5日(金)に一斉発売いたします。
「灘の生一本」ブランドは、灘五郷の醸造技術者(灘酒研究会)が英知を結集し、兵庫県産米のみを使用して醸し上げた純米酒です。

沢の鶴

生酛造りによって醸された純米原酒です。後口のキレが良く原酒ならではの旨みとふくらみがある豊かな味わいで、飲みごたえのあるお酒であります。

剣菱

じっくりと丁寧に熟成させた香りと黄金色の2018年醸造酒です。口に含むと広がる濃醇な旨みとコクが調和されたお酒であります。

白鶴

白鶴独自開発米である「白鶴錦」を100%使用した芳醇な香りの純米酒で、押し味とキレの良さを併せ持ち、きれいですっきりした特長があります。

櫻正宗

兵庫県産山田錦を100%使用した純米酒です。淡麗やや辛口で、キレ味の良さと米のふくらみを感じるお酒です。

浜福鶴

兵庫県産米『HYOGO SAKE85』を100%使用した純米原酒です。生酛造り特有の旨味と適度な酸味で、キレが良いお酒です。

黒松白鹿

兵庫県産米山田錦を100%使用した、なめらかで旨味がある純米酒です。甘味と酸味が調和した、きれいな味わいのお酒です。

大関

大関独自開発米「いにしえの舞」と名水「宮水」で仕込んだ特別純米酒です。芳醇な香り、米の旨味と軽快な味が調和したキレの良いお酒です。