かつての居酒屋や飲食店には、酒蔵の名前が入った看板が掲げられている光景が珍しくありませんでした。「○○酒造」「○○正宗」といった文字が大きく描かれ、その店がどのような酒を扱っているのかを、通りを歩くだけで知ることができました。
ところが現在、こうした日本酒の銘柄入り看板を見る機会は、以前より減ったように感じます。これは単なる街の景観の変化ではありません。日本酒と飲食店との関係そのものが変わってきた結果とも考えられます。
かつて酒蔵の看板には、酒蔵側、酒販店側、飲食店側それぞれの事情がありました。酒蔵や酒類メーカーにとっては自社商品の認知を高める広告であり、飲食店にとっては店頭に掲げる看板を用意する負担を抑えられるというメリットもありました。しかし、飲食店の業態が多様化し、店そのもののブランドや内装が重視されるようになると、一つの銘柄を大きく掲げることが必ずしも適さなくなってきました。複数の日本酒を扱う店であれば、特定の銘柄を看板にするよりも、「いろいろな酒に出会える店」であることを打ち出したほうが、現在の客のニーズにも合います。
そして、ここにはもう一つ大きな変化があります。以前の酒蔵の看板は、単に酒の名前を知らせるだけではありませんでした。そこには「この土地には、この酒がある」という地域とのつながりがありました。地元の酒蔵の看板が店先に掲げられていれば、その酒を通して、その土地の風土や食文化、さらには「自分たちの地域の酒」という感覚まで共有することができました。日本酒の看板は、いわば「郷土」を目に見える形にする役割も果たしていたのです。
ところが現在は、その関係が逆転しつつあるように思えます。たとえば、最近の飲食店では、複数の地域の日本酒を飲み比べられるようにしたり、料理との組み合わせを提案したり、店員が酒の産地や蔵の背景を説明したりするケースが増えています。宴会需要が残る店でも、一種類の酒を大量に飲むことより、複数の日本酒を気軽に楽しめることを価値として打ち出す動きがあります。
つまり、「この酒があるから、この店に行く」という関係だけではなく、「この酒を飲んだから、この土地を知りたくなった」という逆向きの流れが生まれているのです。かつては、郷土と日本酒がすでにつながっていて、そのつながりを看板が外へ向けて示していました。今は、日本酒そのものが郷土への入口になっています。知らない土地の酒を飲み、その酒米がどこで育てられ、どのような水で仕込まれ、どのような食文化の中で飲まれてきたのかを知る。その過程で、酒の向こう側にある地域に興味を持つ。日本酒が「郷土を発見させるもの」になっているのです。
今回、日本酒を取り巻く飲食店の動きを見ても、飲み会そのものがなくなっているわけではありません。むしろ、宴会の中で複数の日本酒を楽しんだり、料理との組み合わせを体験したりすることで、日本酒を「場」の価値として捉える動きが見えてきます。そう考えると、店先から日本酒の看板が減ったことを、単純に日本酒の存在感が薄くなった証拠と見る必要はないのかもしれません。
看板という「見える広告」が減った一方で、日本酒は店の中に入り込み、会話や料理、飲み比べを通じて、その土地の物語を伝える存在になっています。かつては、「郷土が日本酒を生み、日本酒の看板が郷土とのつながりを示していた」そして今は、「日本酒を知ることで、郷土を発見する」——この変化は、日本酒が単なる飲み物から、地域を知るための媒介へと役割を広げていることの表れなのかもしれません。
日本酒の看板は、街から少しずつ姿を消しているのかもしれません。しかし、その代わりに日本酒そのものが、見えない「郷土の看板」になりつつあるのではないでしょうか。
