「次世代テロワール」は酒米から始まる

「佐賀酒73号」が示す日本酒の未来

2026年春、佐賀県が約9年の歳月をかけて開発した新たな酒造好適米「佐賀酒73号」が、ついにその姿を現しました。鹿島酒蔵ツーリズムの場で初めて一般に披露され、試験醸造された日本酒の試飲も行われるなど、大きな注目を集めています。

現時点では、この酒米を用いた日本酒はまだ本格的な市販段階には至っておらず、馬場酒造場による「John Doe 73」や「Jane Doe 73」といった試験酒が限定的に提供されているにとどまります。しかし、その位置づけは単なる試作品ではありません。むしろ、日本酒の未来を占う重要なプロトタイプといえる存在です。

「佐賀酒73号」の最大の特徴は、従来の酒米が抱えていた課題を総合的に解決しようとしている点にあります。酒米の王様とされる山田錦は、確かに高品質な酒を生み出す一方で、背丈が高く倒れやすい、収量が少ない、栽培が難しいといった農業面での課題を抱えてきました。これに対し「佐賀酒73号」は、背丈が低く倒伏しにくい構造を持ち、収量も向上しているため、農家にとって持続可能な酒米となる可能性を秘めています。

さらに重要なのは、気候変動への対応です。近年の猛暑は酒米の品質に大きな影響を与え、従来の酒造りに不安定さをもたらしています。「佐賀酒73号」は高温環境でも品質が安定しやすく、蒸米の溶け方にも優れるなど、温暖化時代に適応した設計がなされています。これは単なる改良ではなく、日本酒造りの前提条件そのものを見直す試みといえるでしょう。

一方で、酒質の面でも高いポテンシャルが確認されています。試験醸造酒からは、コクと旨みの強さ、そして従来とは異なる質の甘みが感じられると評価されており、大吟醸レベルの精米にも対応可能とされています。つまり、「作りやすいだけの米」ではなく、「美味い酒を生む米」として成立している点が、この品種の真価です。

そして、この酒米の意義をより深く理解するための鍵となるのが「次世代テロワール」という視点です。テロワールとは本来、土地の風土や気候、土壌といった要素が生み出す個性を指す言葉ですが、日本酒においては長らく、その中心は水や酵母、そして杜氏の技に置かれてきました。酒米は重要でありながらも、全国的には山田錦に依存する傾向が強く、地域差を表現する素材としては限定的でした。

しかし「佐賀酒73号」は、その構図を変える可能性を持っています。佐賀県はこの酒米に加え、県産水や独自酵母を組み合わせた「オール佐賀」の酒造りを推進しており、地域の要素を一体化した酒の表現を目指しています。これは、単なる地産地消を超えた、「土地そのものを味わう酒」への進化といえるでしょう。

さらに興味深いのは、この酒米が県主導で開発され、複数の蔵で共有されていく点です。同一の酒米を使いながらも、蔵ごとの技術や思想によって異なる酒が生まれることになります。つまり、「共通の土壌の上で個性を競う」という新しい構造が生まれるのです。これはワインにおけるテロワールの概念にも通じるものであり、日本酒における地域表現を一段と深化させる可能性を秘めています。

「佐賀酒73号」は、まだその歩みを始めたばかりです。しかし、この酒米が示しているのは、単なる新品種の登場ではありません。それは、農業・気候・醸造・地域といった複数の要素を統合し、日本酒の価値そのものを再定義しようとする動きです。

これから各蔵がこの酒米をどう使い、どのような酒として結実させていくのか。その過程こそが、「次世代テロワール」を形づくる実験場となるでしょう。日本酒は今、新たな土地の物語を語り始めています。

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