都会で『農』から始める酒造――白鶴酒造・天空農園が拓く次世代テロワール

白鶴酒造は10月23日、東京・銀座の自社ビル屋上「天空農園」で酒米「白鶴錦」の稲刈りを行いました。ここで収穫された米は、マイクロブルワリー「HAKUTSURU SAKE CRAFT」で仕込まれ、約40本の限定酒となる予定です。

この取り組みの本質は、単に都市で酒米を育てる試みではありません。『農業から始める酒造』という、日本酒文化の根源的なプロセスを都心に再構築する点にこそ価値があります。地方に広がる水田から遠く離れた銀座の屋上で米を育てるという行為は、酒造りの原点を都市に呼び戻す象徴的な実践といえます。

都市型農業がもたらす「生産と醸造の再接続」

酒造りは本来、「米づくり」から「発酵」までを通した一貫した営みでした。しかし現代において、農業と醸造は分断され、蔵人であっても米づくりの現場を知らないまま酒を造るケースは少なくありません。

ところが天空農園では、蔵人が米の生育を観察し、気候や土壌(屋上土壌)、日照など都市特有の環境の変化を身体的に理解できます。これは、酒の仕込みに対する感覚を研ぎ澄まし、「自分たちが育てた米で、自分たちが醸す」という本来の酒造文化に近い循環を取り戻すものです。

さらに、都市型農業の特性として、農作業に外部の人が参加しやすい点があります。都市生活者が田植えや稲刈りに関わることで、酒造りに対する理解が飛躍的に深まります。都市で農から酒までを完結させるモデルは、これまで分断されていた生産と消費の距離を縮め、文化的な関係の再構築を可能にします。

都市の気候が生む新しいテロワールの可能性

銀座の屋上で育つ酒米には、ビル風や高層ビルの反射光、都市微生物叢など、田舎の田んぼでは有り得ない環境要因が作用します。これらは決して欠点ではなく、都市という固有の風土、つまり、新たなテロワールを形成します。

ワインの世界で、都市醸造所が独自のアーバン・テロワールを発信しているように、日本酒もまた「都市で育つ米の個性」を語る時代が訪れていると言えるでしょう。特に酒米はタンパク質量や粒の硬さなどで味わいが変わるため、都市気候で育った米がどのような酒質を生むのかは、研究としても価値があります。

都市型農業は、小規模だからこそ環境要因を可視化しやすく、テロワール研究の新たな舞台ともなり得ます。

小規模だからこそ可能な『個性の極致』としての酒造り

天空農園の生産量は多くありません。しかし、小規模であるからこそ、次のような価値が生まれます。

  • 生育環境を細部まで把握できる
  • 単一区画の米だけで仕込む究極の限定ロットが作れる
  • 物語性が強く、体験価値の高い酒になる
  • 都市に住む消費者がリアルタイムで生産工程を見守れる

つまり小規模酒造の弱点とされる生産量の少なさは、都市の場合むしろ、「唯一無二の価値」へと転換されます。

都市で農から酒へ――日本酒の未来を示す原点回帰

白鶴酒造の天空農園は、都市で農業を再生し、その場で酒造りまで完結させるという、極めて現代的かつ根源的な取り組みです。都市が「消費の場所」から、少量でも「生産の場所」へと変わることで、酒造はより文化的で、より参加型のものとなっていくでしょう。

そしてこの流れは、都市テロワールの確立、小規模ロットによる多様な酒造文化、さらには「自分たちの街で育てた米の酒」という新しい地域性の創造へとつながっていきます。

農から始める酒造を都市で実践すること――それは、次の時代の日本酒のアイデンティティをつくる、小さいけれど大きな一歩なのです。

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