伝統は力となるか? 「伝統的酒造り」無形文化遺産登録から1年

2024年12月5日、日本の「伝統的酒造り」がユネスコ無形文化遺産に登録されてから一年が経過しました。これは、単に日本酒だけでなく、焼酎や泡盛を含む多岐にわたる日本の伝統的な醸造技術、それを支える人々の知恵、そして季節ごとの祭事や地域文化との結びつきが世界的に認められたことを意味します。

高まる国内外の認知度と期待

この一年で最も大きな変化は、国内および海外における認知度の劇的な向上です。メディアでの露出が増えたことはもちろん、特に欧米やアジアの富裕層・文化層の間で、単なるアルコール飲料としてではなく、「日本の歴史と風土が生んだ文化遺産」としての評価が定着し始めました。これにより、日本産酒類の輸出市場では、プレミアムライン、つまり高価格帯の商品の需要が高まる傾向が見られています。

一方で、現場の酒蔵には、労働環境の改善や後継者不足という依然として深刻な課題が残されています。無形文化遺産としての価値を将来にわたって維持するためには、これらの「技術の担い手」を確保・育成することが不可欠です。この一年間、各地の酒造組合や自治体は、蔵人の募集や研修制度の充実、さらには冬場に限られていた酒造りを四季醸造へ移行させるための技術導入など、働き方改革と技術継承の両輪での取り組みを加速させています。

「GI」との相乗効果:地域ブランド力の強化

「伝統的酒造り」の価値を具体的に市場に伝える上で、地理的表示(GI:Geographical Indication)制度の存在は欠かせません。GI制度は、特定の産地ならではの特性を持つ産品を保護し、その品質と評判を保証するものです。

ユネスコ無形文化遺産登録は、日本の酒造り全体に「文化的な権威」と「伝統というストーリー」を与えました。これに対し、GIは「具体的な品質基準」と「産地ごとの明確なアイデンティティ」を付与します。

例えば、「GI日本酒」や「GI山形」など、すでに登録されているGI表示が付いた日本酒は、無形文化遺産に裏打ちされた「伝統的技術で造られている」という大前提の上に、「この地域の特定の原料と風土が生み出した特徴を持つ」という二重のブランド価値を持つことになります。

この相乗効果により、特に地方の小規模ながらも個性的な酒蔵が、その地域のテロワール(風土)を表現した商品を、高付加価値なものとして国内外に訴求しやすくなりました。今後、GI登録を目指す地域も増加すると予想され、地域ごとの多様な酒造りの保護と発展に寄与するでしょう。

今後の課題と展望:持続可能な酒造りへ

登録一年という節目に立ち、日本の酒造業界が目指すのは「持続可能な酒造り」の実現です。

【技術のデジタル化とデータの活用】
伝統的な技術を若手に効率よく伝えるため、熟練蔵人の技術をデジタルデータとして記録し、温度管理などにAIを導入する動きが今後さらに広がることが予想されます。

【環境への配慮】
持続可能性の観点から、環境負荷の低い米作りへの回帰や、再生可能エネルギーの導入、水の利用効率改善など、環境と調和した酒造りへの取り組みが、国内外の消費者にとって重要な選択基準となるでしょう。

無形文化遺産登録は、日本の酒造業界が、過去の技術をただ守るだけでなく、それを現代の課題解決と融合させ、未来に進化させていくための大きな契機となりました。この登録を追い風に、日本酒・焼酎・泡盛が、世界の文化遺産として、より広く、より深く愛される存在となることが期待されます。

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【特集】燗がもたらす日本酒の科学的変化――温度が広げる味わいの可能性

日本酒の魅力の一つとして、幅広い温度帯で楽しめる点が挙げられます。なかでも「燗」は、古くから日本の食文化に寄り添ってきた飲み方ですが、近年は科学的な分析が進んだことで、その味わいの変化がより明確に説明されるようになってきました。本稿では、燗によって日本酒にどのような科学的変化が起きるのかを掘り下げ、その可能性を探ります。


まず注目されるのは、温度上昇による揮発性成分の変化です。日本酒にはリンゴ酸、コハク酸、乳酸などの有機酸や、酢酸イソアミル、カプロン酸エチルといった香気成分が含まれています。これらは温度が上がると揮発しやすくなり、香りの立ち方に大きな影響を与えます。特に酢酸イソアミルなどの「吟醸香」と呼ばれるフルーティーな成分は低温で感じやすい一方、燗をつけることでアルコール由来の香りや米のうま味を想起させる成分が前面に出やすくなります。そのため、吟醸酒よりも純米酒や本醸造酒が燗酒と相性がよいとされる理由が、科学的にも裏付けられつつあります。

次に、味わいのバランスの変化が挙げられます。温度が上がると、糖分やアミノ酸の甘味・うま味は感じやすくなり、逆に酸味や苦味は相対的に穏やかに知覚されます。この味覚特性は、温かいスープが甘味やコクを強調するのと同じ原理です。日本酒に含まれるアミノ酸は、うま味に寄与するだけでなく、温度上昇により複雑な味わいを形成するため、燗にすることで「まろやかさ」や「ふくらみ」が出ると評価されます。これらの変化は単なる感覚的なものではなく、温度による味覚細胞の反応の変化が関与しているとされています。

さらに、アルコール自体の感覚変化も重要です。温度が高くなるとアルコール刺激は強く感じそうに思われますが、実際には40〜50度の「上燗」帯では刺激が和らぎ、代わりに香りの湯気立ちが増すことで、全体の印象が柔らかく感じられることが知られています。これは、エタノールの揮発による香り成分との相互作用が変化し、味と香りの一体感が増すためとされています。

また、燗によって日本酒のテクスチャーにも変化が生じます。冷酒ではシャープに感じられた酒質が、燗をつけることで粘度が低下し、口当たりが軽やかになる一方で、うま味が広がる印象が強まります。この口中での広がりは、料理との相性を高める効果もあり、和食を中心に幅広いペアリングが楽しめます。

こうした科学的理解の進展により、最近では酒蔵や飲食店が温度帯ごとの最適な提供方法を研究し、温度管理を行うケースが増えています。専用の燗酒器や温度別テイスティングイベントも広がり、燗酒は「古い飲み方」から「新しい体験価値」へと評価が変わりつつあります。

科学が明らかにする燗の魅力は、単に温めるだけではない繊細な味わいの変化にあります。これからの日本酒文化の中で、燗はよりクリエイティブで多様な楽しみ方を生む要素として注目を集めていきそうです。

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お歳暮シーズン注目──富士錦「純米稲穂酒」が示す、日本酒の『文化力』

年末の贈答需要が高まるにつれ、各地の酒造が趣向を凝らしたギフト商品を発表する中で、静岡県富士宮市の富士錦酒造が手掛ける「純米稲穂酒」は、ひときわ異彩を放っています。本物の稲穂を添えた特徴的な装いは、単なる嗜好品の枠を超え、日本酒が持つ文化的価値を再認識させる存在として評価されています。

富士錦酒造は元禄年間に創業し、300年以上にわたり富士山麓の豊かな自然の恵みとともに酒造りを続けてきました。蔵が使用する仕込み水は富士山の伏流水で、軟水特有の柔らかさが酒質にも表れています。また同蔵は、かつて自ら米作を行っていた歴史も持ち、地域の農と酒造りを結びつけてきた「土地に根ざす蔵」として知られています。この背景が、後述する稲穂酒の思想にも色濃く反映されています。

純米稲穂酒の最大の特徴は、酒瓶に実った稲穂が飾られている点です。これは単なる装飾ではなく、「物事が実る」「豊穣を願う」という日本の稲作文化に基づく縁起の象徴です。年の瀬に贈るお歳暮として、相手の一年の労に報い、来る年の実りを祈るという意味を込められる点が、多くの支持を集める理由の一つとなっています。

酒質は純米酒で、米・麹・水のみで醸されます。富士錦らしい澄んだ味わいの中に、米の旨味がしっかりと感じられ、年末年始の食卓にもよく寄り添う設計です。さらに数量限定で仕上げられることから、「特別な相手に贈る一本」としての付加価値も高まっています。

贈答の風習は時代とともに変化しつつありますが、お歳暮文化には「一年の感謝を形にする」「季節の節目を大切にする」といった日本独自の価値観が宿っています。日本酒もまた、単なるアルコール飲料ではなく、祝いの席で用いられ、神事に供えられ、地域文化の核として受け継がれてきた存在です。その意味で、稲穂酒は日本酒の本来的な『文化の器』としての役割をわかりやすく示す好例だといえます。

現代では日本酒のギフトは多様化し、高級路線やデザイン重視、あるいは飲み比べのようなカジュアル路線も増えています。しかし富士錦の純米稲穂酒が伝えるのは、もっと根源的な「贈り物の意味」と「日本酒の文化的原点」です。稲穂を添えるという趣向は、私たちの生活が米作とともにあったことを再認識させ、食文化と季節の感性が連続していることを再確認させてくれます。

お歳暮という習慣がやや形式化しつつある現代だからこそ、文化を伴う贈り物が静かに支持を得ています。「特別な一本に確かな意味を込めたい」と願う人々にとって、純米稲穂酒はふさわしい選択肢となるでしょう。今年の贈り物選びに、静かに光るこの一本を加えてみてはいかがでしょうか。

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杉玉(酒林)が彩る冬支度――歴史と意味を踏まえた現代的役割の広がり

酒蔵の軒先に青々とした杉玉が吊るされる時期になると、冬の酒造りが始まったことを実感する人は多いでしょう。杉玉、あるいは「酒林(さかばやし)」とも呼ばれるこの丸い飾りは、日本酒文化を象徴するアイコンとして広く知られています。しかし、その歴史や意味、そして現代における役割は、あらためて見直す価値のある奥深いものです。

杉玉の起源は室町時代にまで遡るとされ、奈良の大神神社(おおみわじんじゃ)の神事に由来するといわれています。三輪山の杉を神聖視する同神社では、酒造りの守護神として崇敬を集め、酒屋がその御神木である杉の葉を丸めて吊るしたことが始まりだと伝えられています。これがやがて日本各地の酒蔵に広まり、新酒ができた合図として杉玉を掲げる文化が定着しました。

特に、青々とした杉玉が徐々に茶色へと枯れていく変化は、新酒の熟成の進み具合を象徴するものとされ、昔は地域の人々が酒造りの進捗を知る「自然の看板」として機能してきました。つまりこれは、酒造と地域社会を結ぶ重要なコミュニケーションツールであり、酒が地域に根づいた暮らしの一部であったことがうかがえます。

現代においても、杉玉は新酒の完成を示すシンボルとして変わらぬ役割を果たしていますが、その存在感は時代の変化とともに広がりを見せています。酒蔵のブランディングや観光資源として活用されるケースが増え、近年はSNSでの発信を意識した大型の杉玉やライトアップされた杉玉など、視覚的な魅力を強調した演出も見られるようになりました。酒蔵見学や蔵開きイベントが再び人気を集めるなかで、杉玉は「写真映え」する象徴として、国内外の観光客にとっても分かりやすい酒文化のアイコンとなっています。

また、酒蔵以外への波及も進んでいます。飲食店や商業施設、地方自治体の観光拠点が杉玉を設置する動きが広がり、「酒どころ」をアピールする町おこしのツールとして活用される例も増加しています。実際、酒蔵の無い地域でも地域産の杉を用いて杉玉を制作し、自地域の森林資源の活用と伝統文化の継承を結びつける取り組みが進んでいます。これにより、杉玉は酒造りのシンボルにとどまらず、林業再生や地域経済の活性化にまで役割を拡大させています。

さらに、近年のクラフトサケブームにより、都市型醸造所でも杉玉を掲げる事例が増え、伝統と革新が交差する象徴として再評価されています。海外でも杉玉を模したディスプレイが用いられ、日本酒文化の国際的な認知にも貢献しています。日本酒の製造工程や季節性を伝える教育的なアイテムとしても活用され、酒文化の理解を深める役割を担い始めています。

古くは新酒の知らせであり、地域の人々にとっての歳時記の一部であった杉玉は、現代では文化発信・観光・地域振興・国際交流にまで広く応用される存在へと進化しています。冬の訪れとともに酒蔵の軒先を飾る杉玉は、時代を越えて受け継がれる日本酒文化の象徴でありながら、今なお新しい役割を生み出し続けています。杉玉が掲げられるその瞬間、私たちは日本酒の未来をも静かに見つめているのかもしれません。

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立冬は「鍋と燗の日」~冬を迎える日本の風物詩を味わう記念日の由来と意味

「鍋と燗の日」は、暦の上で冬の到来を告げる二十四節気の一つ・立冬(今年は11月7日)を記念日にあて、温かい鍋料理と燗酒を楽しむ文化を広めることを目的に制定されました。発起人は灘・伏見・伊丹の老舗酒造会社が参加する「日本酒がうまい!推進委員会」で、2011年に記念日として打ち出し、制定当初から試飲イベントや体験会などの共同プロモーションを行っています。

立冬は暦の上で「冬の始まり」を示す日であり、肌寒さが増すこの時期に家族や友人と鍋を囲み、体を温める習慣と自然に重なります。とりわけ日本酒の「燗」は、酒質の違いをやさしく引き出し、料理との相性を高めることから、鍋料理との親和性が高いと考えられています。こうした季節性と食文化の結びつきを象徴する日として「立冬=鍋と燗の日」が選ばれました。

制定の狙いは単に記念日を作ることではなく、日本酒の需要を盛り上げ、消費者に燗で飲む日本酒の魅力を再発見してもらうことにあります。記念日前後では酒造や小売、飲食店が連携して燗酒の試飲会、鍋と燗のペアリングイベント、販促キャンペーンなどを実施しており、地域の酒文化の発信につながっています。

「鍋と燗の日」は、単なる商業プロモーションにとどまらず、共有・共食の文化を見直す機会でもあります。鍋を囲む行為は、場を和ませて人の距離を縮めます。燗酒は、味わいの幅を広げて会話を豊かにします。現代のライフスタイルでは外食や一人鍋も増えていますが、この記念日は、季節を感じる食卓の価値をあらためて提案する役割を果たしています。

立冬には、地元の旬の食材で作る鍋に、燗が映える純米酒や本醸造を合わせるのがおすすめです。燗の温度帯を変えて飲み比べることで、同じ酒でも風味の変化を楽しめます。また、家庭や居酒屋での小さなイベントとして「鍋と燗」のペアリング会を開けば、季節行事として定着しやすくなります。

立冬つまり「鍋と燗の日」は、暦と食文化を結びつける現代の記念日として、冬の食卓に新しい気づきと会話をもたらしています。季節の始まりを味わう一杯と一鍋で、心も体もあたたかく過ごしてみたいものです。

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新酒の季節に考える——酒造年度(BY)表示の「曖昧さ」と日本酒の未来

新酒が店頭に並び始める季節になると、酒好きの心は自然と弾みます。「今年の出来はどうか」「去年と比べて香りは?」といった話題が飛び交い、冬の訪れを感じる瞬間でもあります。しかし、その一方で、瓶に小さく印字された「BY」――酒造年度(Brewery Year)の表示に首をかしげる人も少なくありません。ワインの「ヴィンテージ」に似ているようで、実は似て非なるこの表示。改めてその意味と課題を考えてみたいと思います。

ワインの『ヴィンテージ』とのズレ

ワインの世界では「ヴィンテージ=葡萄の収穫年」であり、その年の天候や収穫状況が味に直結します。いわば自然との対話を数字で示すものです。

一方、日本酒の「酒造年度(BY)」は、「その酒が仕込まれた年度」を示すもので、原料である米の収穫年とは一致しません。日本酒は、前年に収穫された米を冬に仕込み、翌年の春以降に出荷するのが一般的です。つまり、ワインが「農産物の年」を示すのに対し、日本酒は「仕込みの年」を示しているにすぎません。

この構造的なズレを考えると、「BYをワインのヴィンテージのように語る」ことは正確ではなく、もし『ヴィンテージ』を標榜するなら、本来は米の収穫年度を基準にすべきではないかという疑問が残ります。

さらに厄介なのは、このBY表示が一般の消費者にとって非常に分かりづらいという点です。たとえば「R6BY」と書かれていても、それが令和6年(2024年)に仕込まれた酒だとすぐ理解できる人は限られます。加えて、同じ蔵の中でも「R6BYの生酒」と「R5BYの火入れ酒」が同時に売られていることもあり、単に新しい数字が新しい酒とは限りません。

結果として、BY表示は本来の意義を果たせず、「難しい」「何を指しているのかわからない」という印象だけが残り、むしろ消費者を遠ざけてしまう側面すらあります。

新酒も古酒もそれぞれに価値があるのに…

日本酒の世界には、しぼりたての『新酒』のフレッシュな魅力と、熟成によって深みを増した『古酒』の妖艶な美しさの両方があります。しかし、現在の表示制度では、その違いがラベルから直感的に伝わらないのが現状です。製造年月は記載されていても、それが「瓶詰め時」なのか「蔵出し時」なのか明確でなく、消費者が「いま飲んでいる酒」がいつどのように造られたものなのかを正確に把握するのは難しいのです。

本来なら、①仕込み年度(酒造年度) ➁原料米の収穫年度 ③瓶詰め・出荷年月 といった情報を統一的に、分かりやすい形式で記載すべきでしょう。これが整えば、「今年の米で仕込み、半年熟成させた酒」なのか、「2年前の仕込みを寝かせた熟成酒」なのかが一目で分かり、日本酒の多様な世界がもっと正当に評価されるはずです。

曖昧さが日本酒の魅力を損ねている

現在のBY表示は、専門家や愛好家にとっては利用価値があるのかもしれませんが、酒自体の価値を語るにはあまりに曖昧で、個々の日本酒が持つ物語性を十分に伝えられません。

「いつ仕込まれた」「いつ詰められた」「いつ出荷された」——これらが一本のラベルの中で明確に整理されるだけで、日本酒の価値はさらに高まるでしょう。ワインが『ヴィンテージ』を誇るように、日本酒もまた、『時間をどう扱う酒か』を堂々と語れる時代を迎えるべきです。

新酒の季節に思うのは、この「BY」という小さな文字が、日本酒の未来を閉ざしてしまっているのではないかということであります。もともと酒造税法によって生まれた「BY」をそのまま転用するのではなく、今こそ消費者目線に沿って、個々の日本酒の魅力を伝える表示に切り替えるべきだと考えるのであります。

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日本酒における「本物」とは何か? 酔いや味わいを超えた哲学の探求

「酒ぬのや本金酒造」様のインスタグラム(10月18日)に、非常に示唆に富む問いかけがありました。それは「日本酒における本物とは何か」という根源的な問いです。興味深いことに、これは外国からの問いかけであると記されています。

国内で「無視」されてきた根源的な問い

私たち日本人にとって、日本酒は長きにわたり「あって当たり前」の存在でした。米を耕し、水を守り、四季の移ろいを肌で感じて生活を営む中で、酒は祭りや儀式、そして日常の食事を彩る、生活の一部、文化の背景そのものでした。

そのため、国内では「本物とは何か」という根源的な定義を問い直す必要は、ほとんどなかったと言えるでしょう。「美味しい」「この土地ならでは」「うちの蔵の味」といった、個々の感覚や地域性に根ざした評価基準が、いわば暗黙の了解として存在していたからです。この問いかけは、あまりにも身近すぎて、かえって無視されてきた問いかけだ、と表現することもできます。

世界的な広がりが突きつける「本物」の定義

しかし今、日本酒は急速に世界的な広がりを見せています。海外の多様な文化や、蒸留酒・ワイン・ビールといった他の酒類との比較の中で、日本酒は「SAKE」という新しいカテゴリーとして受け入れられています。

異文化圏の人々は、まず日本酒の独自性、すなわち「本物であることの証明」を求めます。彼らは、単に「米から造る酒」という事実以上の、意味や価値、哲学を欲しているのです。

  • なぜ米と水だけで、これほど複雑な味が生まれるのか?
  • 伝統とは、どのような技術と歴史に裏打ちされているのか?
  • 日本酒は、人々の暮らしや精神性に、どのような役割を果たしてきたのか?

これらの問いは、酔いや味わいといった感覚的な価値にとどまらず、その背景にある「文化的な深み」や「哲学に通じるもの」を求めるものです。彼らにとっての「本物」とは、五感で感じる美味しさの向こう側にある、論理的・精神的な納得感なのです。

求められるのは「酔い」や「味」を超えた哲学

日本酒人気の広がりとともに、国内外で求められているのは、もはや「美味しいから飲む」という段階を超えた価値です。そこには、以下のような、哲学に通じる要素が求められています。

【土地(テロワール)の哲学】

①その土地の水・米・気候・蔵人の生き様が、酒にどのように映し出されているか。

➁単なる産地表示ではなく、「なぜ、この場所でなければならないのか」という存在理由。

【時間の哲学】

①受け継がれてきた数千年の歴史や、醸造という行為に込められた時間の概念。

【人と自然の哲学】

①自然の摂理に従いながら微生物とともに酒を造るという、循環と共生の精神。

➁日本古来からの、持続可能性(サステナビリティ)に通じる概念。

真摯な探求こそが未来の業界を支える

「本物とは何か」という問いに、醸造技術のデータや、官能的な表現だけで答えることはできません。蔵元や業界全体が、自らのルーツ、技術の背景、そして酒が生活にもたらす精神的な意味合いを言語化し、発信していく必要があります。

これこそが、外国からの問いかけに真摯に向き合うということです。自らの手で醸す酒の存在意義を深く考察し、その哲学的な価値を明確にすることは、単に海外展開に役立つというだけでなく、国内においても日本酒が、「単なるアルコール飲料」から「人々の暮らしを豊かにする文化財」へと、再認識される契機となります。

「本物」の探求とは、自己との対話であり、文化の再定義です。これに真摯に向き合うことで、日本酒は酔いや味わいといった一過性の価値を超え、人々の暮らしに深く資する普遍的な存在となり、これからの業界の発展を、哲学という名の太い幹で支えることになるでしょう。

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重陽の節句と燗酒――秋の深まりとともに訪れる「温め酒」の季節

日本には四季折々の節句があり、その中でも旧暦の9月9日にあたる「重陽(ちょうよう)の節句」は、古くから「菊の節句」としても知られています。奇数が重なることを「陽が重なる」として、強くなりすぎた陽の気を祓い、無病息災を願って菊酒を飲む風習が平安時代から伝わってきました。もともとは中国の陰陽思想に由来し、九という最大の陽数が重なる日を「陽の極」と捉えることに始まります。

この重陽の節句は、新暦では、概ね10月中に訪れます。そして実は、この日こそが「燗酒」の季節の幕開けとされてきたのです。

「花冷え」から「雪の酒」へ――燗酒の季節区分

古くからの日本酒文化では、酒を温めて飲む「燗」の習慣が、季節の移ろいとともに繊細に区分されてきました。春の「花冷え」や「涼冷え」など冷酒の温度呼称に対し、秋から冬にかけては「日向燗」「人肌燗」「ぬる燗」「上燗」「熱燗」「飛び切り燗」といった呼び名が生まれています。

この「燗酒の季節」は、旧暦の重陽の節句から翌年の桃の節句(旧暦3月3日、現在の4月中旬ごろ)までとされていました。つまり、秋が深まり始める頃に温め酒を始め、春を迎えるまでの半年間を「燗の季節」と見立てていたのです。気温の低下とともに体を温める知恵でもあり、また、熟成が進んだ秋の日本酒を味わう絶好の時期でもありました。

古の人々は、この季節の変化を敏感に感じ取り、味覚として楽しみました。新米の酒が仕上がる前のこの時期、夏を越して旨みが乗った「ひやおろし」を火で温めると、さらに柔らかく、深みのある味わいが引き出されます。まさに、燗酒は秋の実りとともに楽しむ旬の酒なのです。

2025年は10月29日――重陽の節句を味わう日

月の満ち欠けを基準にした旧暦カレンダーをめくると、2025年の旧暦9月9日は、10月29日にあたります。つまり、今年の「重陽の節句」は10月29日。暦の上では、ここから本格的な燗酒の季節が始まるということになります。

この日を境に、秋の夜長にしっとりと燗をつける楽しみが増していきます。近年では冷酒人気が高い一方で、燗酒の魅力が再評価されつつあります。温度による香りと味わいの変化、酒質による相性、器の選び方など、五感で楽しむ深い世界がそこにあります。特に純米系や生酛・山廃系の酒は、温めることで旨味がふくらみ、料理との相性も格段に良くなります。

現代の暮らしの中で、季節を実感する瞬間が少なくなった今こそ、旧暦の節句を意識してみるのも趣深いものです。たとえば10月29日の夜、菊の花を一輪飾り、秋の味覚を肴にして、ぬる燗をゆっくり味わう――そんな時間の中に、古い歴史を持つ日本のよさが感じられるかもしれません。

暦とともに楽しむ酒文化の再発見

重陽から桃の節句までの半年は、まさに「燗酒の文化」が最も豊かに花開く時期です。冬の寒さをしのぐ手段であると同時に、米の旨みを最大限に引き出す温度の妙が楽しめるこの季節。現代の私たちにとっても、燗酒はただの温め酒ではなく、自然のリズムに寄り添いながら味わう『熱い文化』だと言えるでしょう。

2025年10月29日、重陽の節句――冷酒から一転、湯気とともに立ち上る香りに、秋の深まりを感じる季節が始まります。

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10月6日は仲秋の名月~酒と月のおはなし

月見の風習は、中国・唐の中秋節(陰暦8月15日)に由来します。奈良時代(8世紀)に遣唐使がもたらしたとされ、宮中行事として定着しました。最初は貴族たちが詩歌を詠み、音楽を奏でる雅な宴でした。そこでは酒も欠かせぬものであり、池に浮かぶ月を眺めながら、盃を交わしたと考えられています。

平安貴族の「観月の宴」

平安時代になると、この風習は宮廷文化の象徴となります。特に有名なのは、池のほとりで舟を浮かべて行う「舟遊び」。
盃を水面に浮かべ、流れ着くまでに詩を詠む「曲水の宴」と同じ発想で、杯に映る月を飲むように見立てる「飲月」の美意識が生まれました。

紫式部や清少納言の随筆にも月見の情景が登場します。単なる宴ではなく、自然と一体化する精神行為として、月と酒は密接に結びついていたのです。

民間へと広がる江戸時代

江戸時代になると、月見は庶民にも広まりました。稲の収穫期にあたることから、収穫祭・豊穣祈願の意味が強くなります。
農村では「芋名月」と呼ばれ、里芋・団子・栗・豆・すすきを供えて月を拝みました。月見団子は、稲穂に見立てたすすきとともに供えられ、実りへの感謝を象徴します。このときに飲まれるのが「月見酒」。

現代ではその伝統を受け継ぎ、前年の酒を秋まで熟成させた「秋あがり」や「ひやおろし」を楽しむのが定番となっています。

月見酒のしきたり・作法

月見酒は、月を眺めながらゆっくり酒を味わう行為です。
盃に酒を注ぎ、その表面に月を映して飲むという作法がありました。これを「盃中の月」と呼び、古来から詩歌や茶の湯の題材にもなっています。
飲むことで「月を体に取り込む」「月の気を受ける」とされ、吉兆の象徴でもありました。

なお、伝統的な月見の供え物には次のような意味があります。

【月見団子】満ちた月を象徴。通常15個を三方に盛る(十五夜にちなむ)。

【すすき】稲穂の代わり、神を招く依代(よりしろ)。

【里芋・栗・豆】秋の収穫への感謝。「芋名月」の名の由来。

【清酒】神々へのお供え。豊作祈願と感謝の象徴。

これらを縁側や窓辺、月の見える場所に供え、家族で月を眺めながら酒を酌み交わすのが伝統的な形です。

現代に生きる月見酒

近年は、酒蔵や観光地で「観月会」や「月見の宴」が復活しています。京都では、ライトアップされた夜空の下で日本酒を味わう催しが人気を集めています。
また、酒造も「満月仕込み」や「月光」など、月をテーマにした限定酒を販売し、古の風習を現代の感性で再解釈しています。

デジタル時代になっても、月を眺めながら静かに盃を傾ける時間には、どこか懐かしい安らぎがあります。
月見酒は、自然と人、神と生活をつなぐ文化的な儀礼として、今も日本人の心の中に息づいているのです。

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10月1日は「日本酒の日」 歴史と現在、そして未来への課題

10月1日は「日本酒の日」と定められています。酒造業界にとって、この日は単なる記念日以上の意味を持っています。そもそも「日本酒の日」が生まれたのは1978年、日本酒造組合中央会が制定したことに始まります。その背景には、酒造年度が10月に切り替わるという伝統的な習わしがあります。昔から新米の収穫が秋に始まり、それを原料とする酒造りが10月から翌年にかけて本格化することから、酒蔵にとっての「一年の始まり」は10月でした。また十二支の「酉」が「酒壺」を意味する文字であることも後押しし、10月1日が象徴的な日として選ばれたのです。

近年では、この日を機に日本酒の魅力を広める取り組みが各地で行われています。今年も全国の酒蔵や飲食店が趣向を凝らしたイベントを準備しています。東京や京都などの都市部では試飲会や蔵元との交流イベントが予定され、地方都市では地域色を活かした酒祭りや利き酒ラリーも開催されます。さらにオンラインでも蔵元とつなぐリモート試飲会や、日本酒と料理のペアリング体験企画が予定され、コロナ禍を経て定着した「デジタルでの日本酒体験」も健在です。今年は特に若い世代へのアプローチが重視され、SNS連動のキャンペーンや、音楽・アートと組み合わせたイベントが注目を集めています。

過去の「日本酒の日」にも、話題を呼んだ出来事が少なくありません。2015年には全国の酒蔵が同時刻に一斉乾杯を呼びかける「全国一斉日本酒で乾杯!」キャンペーンが行われ、大きな広がりを見せました。また、近年では「メガネの日」と同じ10月1日であることにちなみ、「メガネ専用」と名付けたユニークな日本酒が発売され、SNSを中心に話題になりました。これらは「日本酒の日」がまだ広く知られていない中で、人々に関心を持たせる工夫の一例といえるでしょう。

しかし、フランスワインの「ボージョレ・ヌーヴォー解禁日」と比べると、その知名度は依然として高いとはいえません。ボージョレが国を挙げた輸出戦略やメディアの徹底した情報発信を背景に、季節の一大イベントとして根付いたのに対し、「日本酒の日」は広報のスケールも限られてきました。また、日本酒は種類や飲み方が多様であるため「統一的な楽しみ方」を打ち出しにくい点も普及の難しさにつながっています。

本来、「日本酒の日」は新米を使った仕込みが始まる「仕事始めの日」であり、新酒を並べる解禁イベントではありません。けれども、秋の訪れを告げるこの時期は、ちょうど「ひやおろし」が旬を迎え、さらに旧暦9月9日の「重陽の節句」にも近いことから、熟成を経て味わいが深まり、燗にすると一層映える酒の魅力を伝える絶好のタイミングです。新たに仕込み始める期待感と、前年に仕込まれた酒の円熟を楽しむ喜びが重なる時期こそ、まさに日本酒文化の奥行きを示すものといえるでしょう。市場にとっても、秋から冬にかけての熟成酒を戦略的に打ち出し、食文化と結びつけて広めていく大きなチャンスを秘めています。

しかし現状を見ると、「日本酒の日」の知名度は全国でわずか5%にとどまるとされ、制定から40年以上を経た今も、愛好家や関係者のあいだでの小さな祭りにとどまっているのが実情です。残念ながら、その間に国内市場は縮小を続け、若い世代や海外市場への訴求も十分とはいえません。つまり業界の枠を超えて、一般消費者を巻き込む「共通体験」としての魅力を打ち出せなければ、市場の尻すぼみを食い止める力を発揮できないのです。

そのためには、「立春朝搾り」のように全国規模で統一された分かりやすい仕掛けをつくり出すことが求められます。例えば、10月1日に合わせて「全国一斉ふるまい酒」を実施し、参加者には、インターネット上で投票や交流ができる「日本酒SNS」に招待するなどというシステムを作ってみてはどうでしょうか。デジタル時代にふさわしい双方向型の企画を取り入れることで、単なる飲酒の記念日から「みんなで参加し、語り合い、日本酒を再発見する日」へと進化させることもできるのではないでしょうか。

酒蔵の仕事始めの日としての原点を大切にしつつ、旬の「ひやおろし」や燗酒文化を前面に打ち出し、さらに全国の消費者がオンライン・オフラインを問わず一斉に参加できる仕掛けを組み合わせること。そうした工夫が積み重なって初めて、「日本酒の日」は伝統の継承だけにとどまらず、新しい市場を切り開く力を持つ一大行事へと成長していくのではないでしょうか。

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