伝統は力となるか? 「伝統的酒造り」無形文化遺産登録から1年

2024年12月5日、日本の「伝統的酒造り」がユネスコ無形文化遺産に登録されてから一年が経過しました。これは、単に日本酒だけでなく、焼酎や泡盛を含む多岐にわたる日本の伝統的な醸造技術、それを支える人々の知恵、そして季節ごとの祭事や地域文化との結びつきが世界的に認められたことを意味します。

高まる国内外の認知度と期待

この一年で最も大きな変化は、国内および海外における認知度の劇的な向上です。メディアでの露出が増えたことはもちろん、特に欧米やアジアの富裕層・文化層の間で、単なるアルコール飲料としてではなく、「日本の歴史と風土が生んだ文化遺産」としての評価が定着し始めました。これにより、日本産酒類の輸出市場では、プレミアムライン、つまり高価格帯の商品の需要が高まる傾向が見られています。

一方で、現場の酒蔵には、労働環境の改善や後継者不足という依然として深刻な課題が残されています。無形文化遺産としての価値を将来にわたって維持するためには、これらの「技術の担い手」を確保・育成することが不可欠です。この一年間、各地の酒造組合や自治体は、蔵人の募集や研修制度の充実、さらには冬場に限られていた酒造りを四季醸造へ移行させるための技術導入など、働き方改革と技術継承の両輪での取り組みを加速させています。

「GI」との相乗効果:地域ブランド力の強化

「伝統的酒造り」の価値を具体的に市場に伝える上で、地理的表示(GI:Geographical Indication)制度の存在は欠かせません。GI制度は、特定の産地ならではの特性を持つ産品を保護し、その品質と評判を保証するものです。

ユネスコ無形文化遺産登録は、日本の酒造り全体に「文化的な権威」と「伝統というストーリー」を与えました。これに対し、GIは「具体的な品質基準」と「産地ごとの明確なアイデンティティ」を付与します。

例えば、「GI日本酒」や「GI山形」など、すでに登録されているGI表示が付いた日本酒は、無形文化遺産に裏打ちされた「伝統的技術で造られている」という大前提の上に、「この地域の特定の原料と風土が生み出した特徴を持つ」という二重のブランド価値を持つことになります。

この相乗効果により、特に地方の小規模ながらも個性的な酒蔵が、その地域のテロワール(風土)を表現した商品を、高付加価値なものとして国内外に訴求しやすくなりました。今後、GI登録を目指す地域も増加すると予想され、地域ごとの多様な酒造りの保護と発展に寄与するでしょう。

今後の課題と展望:持続可能な酒造りへ

登録一年という節目に立ち、日本の酒造業界が目指すのは「持続可能な酒造り」の実現です。

【技術のデジタル化とデータの活用】
伝統的な技術を若手に効率よく伝えるため、熟練蔵人の技術をデジタルデータとして記録し、温度管理などにAIを導入する動きが今後さらに広がることが予想されます。

【環境への配慮】
持続可能性の観点から、環境負荷の低い米作りへの回帰や、再生可能エネルギーの導入、水の利用効率改善など、環境と調和した酒造りへの取り組みが、国内外の消費者にとって重要な選択基準となるでしょう。

無形文化遺産登録は、日本の酒造業界が、過去の技術をただ守るだけでなく、それを現代の課題解決と融合させ、未来に進化させていくための大きな契機となりました。この登録を追い風に、日本酒・焼酎・泡盛が、世界の文化遺産として、より広く、より深く愛される存在となることが期待されます。

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ユネスコ無形文化遺産登録記念式典に寄せて──日本酒文化の継承と革新、その両立をどう図るか

2025年7月18日、東京都内の九段会館にて「伝統的酒造り」ユネスコ無形文化遺産登録記念式典が文化庁主催で行われました。式では文化庁長官・都倉俊一氏より登録認定書のレプリカが、「日本の伝統的なこうじ菌を使った酒造り技術の保存会」および「日本酒造杜氏組合連合会(日杜連)」に手渡されました。この節目の式典には中央会や関係団体の代表者が出席し、日本酒産業関係者の喜びと決意が共有されました。

日本酒文化の「継承」という重責

ユネスコへの登録は、単なる名誉ではなく、日本酒文化の次世代への継承を国際的にも明確に求められる契機となります。醸造現場においては、杜氏や蔵人といった技術保持者が、こうじ菌を用いた複雑な発酵制御技術を現場で伝承する「徒弟制度」が主軸です。登録要請の背景には、熟練の職人が築いてきた高度な「匠の技」を保存し続けることが、未来のために必要だとの認識が働いています。ただし、人口減少や蔵の高齢化により、後継者不足の問題は依然として深刻であり、技術の継続には大きな困難を伴うことが痛感させられます。

世界からの需要拡大と日本酒の進化

一方で、近年、世界各地で日本酒への関心と需要が急速に高まっています。輸出額は2009年以降で約6倍となり、特にアジア、北米、欧州でのレストランや専門店を中心に、純米酒や吟醸酒をはじめとする高品質日本酒が評価されているのです。

加えて、現代的な製法や味づくりを取り入れた新たなタイプの日本酒も次々と登場し、海外市場向けに様々な戦略が打ち出されています。この多様化は、日本酒文化を国際市場に適応させ、新たな消費者層を獲得する手段となるはずです。

伝統と革新のバランスをどう取るか

このように現代の日本酒を取り巻く環境は、「日本酒文化の継承」という本質的責務と、「新たな世界需要に応える革新」の両者を両立させるという課題があり、以下のようなアプローチで試行錯誤しているような状況です。

1. 二層構造のブランド戦略

伝統製法を追求する「伝統系ライン」と、革新・現代風味を追求する「グローバル展開向けライン」を明確に分け、それぞれのターゲットを区分。

2. 地域文化と観光を結ぶ「体験型発信」

出雲(島根県)では、神話や祭りと結びついた酒造りの歴史を活かし、酒蔵見学・試飲・祭祀体験を通じて文化的価値を伝える取り組みが進んでいます。観光資源と結びつけて、日本酒を文化全体の一部として位置付。

3. クオリティ基準と認証制度による信頼確保

GI登録などで産地・製造方法に対する信頼を確立することでブランド価値を高め、同時に、伝統系には「認定マーク」などを設け、品質・技術の担保を明示。

今後の日本酒の在り方と展望

「伝統的酒造り」の無形文化遺産登録は、日本酒文化が世界的に認められた証とも言えます。その責務とは、先人が築いた技術と精神を後世へと紡ぐことであり、一方で、世界に開かれた挑戦を受け入れつつ、新たな日本酒像を模索することでもあります。

量から質への転換、地域ごとの個性・物語を重視した文化振興、技術革新と伝統の両立、持続可能な若手育成、今、これらを統合する総合戦略が求められています。未来の日本酒は、「匠の技を守る伝統酒」と「革新的なモダン日本酒」が並存し、国内外の多様な味覚や文化意識に応えることで、新しい文化的地平を切り開いていかなければなりません。

式典で語られた感謝と誇りの言葉を起点に、日本酒文化はこれからも技と革新を両輪とし、転がり続けて行かなければならないのです。

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